柘植光彦さんとの思い出

19日の告別式に参加してきたんだけどネ、あんなに元気で健康そのものの感じだったヒトが死んじゃうとはネ、、、
ユビサック(山田)さんより上のヒトだから、ボクから見ると本来なら大先輩として接しなければならなかったんだろうけどネ。
見た目もずっと若く見えるし、気さくに対してくれたから、とても身近で距離を感じなかったナ。
いつの間にか、我々「三好文子を不良オバサンにする会」(組長は高橋博史)の催しにも参加してくれるようになり、やがて有力なメンバーとなったんだネ。
大先輩なのに何度も幹事になってくれて、明治村や吉野に連れて行ってくれたのも有り難かったネ。
5月20日頃の三好行雄師を偲ぶ会・夏の温泉旅行・忘年会には欠かさず参加してくれて、酔うと師匠にカランでいた我々の悪癖の犠牲になり、亡き師匠の代わりにカラミの相手になってくれたものだったネ。
旅行会の夜には、不思議とドラチャン(高田)とタッグを組んでカランでいたのを思い出すネ。
温泉に入って、ヒロチカ(林)やオスギ(杉本)の醜いメタボッ腹に驚いたこともあるけど、柘植さんの均整のとれた肉体美には衝撃を受けたことがあったナ。
サバチカル休暇の1年間、非常勤に来て自分の代わりに授業をしてくれと言われた時は、評価してくれてるんだナと勝手に喜んで通ったもんだネ。
告別式の時の弔辞でも聞かれたけど、教育者としても活躍したヒトだというのは、その学生を相手に授業をしてみて実感したネ。
演習で接した学生達との楽しい思いをした光景は、今でも忘れないネ。
留学生の博士論文を活字にするときは、柘植さんが直々に日本語を直してやってると聞いてビックリ、そういう細かい面倒もみるヒトだと思わかなかったからネ。
1・2年前に久々に開催された「現代文学会」のシンポジウムに参加したら、顔を合わせずに帰ってきたのに後でお礼を言われて恐縮したネ。
細かい気遣いをするヒトだったネ。だからたくさんのヒトの悲しみ・涙を誘ったんだネ。
あの世があるとしたら、そこでも酔うとカラムことになるんだろうネ。