年賀状

 新春(辛春 ?)
  松竹に梅が続かず木瓜(ボケ)が付く   一茶ん
       (村松学長・大竹副学長のボケ・ペアを「いっちゃん」が茶化した川柳一句)
知られぬままでもいいものの、お報せせぬのも落ち着かず、セクハラ退治の武勇伝、一筆啓上仕り候。
生まれながらの問題爺(中山某)、留学生の弱みに付け込んで、触るは吸うはのセクスハラ、「許せん!」とばかりに騒ぎ立て、停職処分に追い込んで、カタキは取ったと思う間に、わが身も減給一日分、処分を食らって学長の、顧問弁護士久保田某、調べてみればキャバレーで、「エロ事師」ぶり発揮した、前科輝くツワモノと、分かってみれば大笑い。 (詳細は「関谷ゼミブログ」を参照されたし)
吾が身の傷を思い出し、セクスネタには寛大な、エロ弁護士の旧績を、暴いてくれたナベ君が、心臓発作で急死した、暮に悲しい賀状書き、筆も進まず暮れるのみ。 南無!
 @ 近刊予定の『坂口安吾論集』(双文社)に「何やらゆかし安吾と鷗外」を掲載。   
186-0004 国立市中2-9-64 関谷 一郎   (042)329-7244 研究室

全国で(?)評判の賀状、ここに公開します。
今年はやはり学大ネタになりました。
執行部を代表とする「東京学芸大学の死」をまとめる機会はいずれ持ちたいが、「セクハラ爺」がらみで執行部を追及していた頃、数人の卒業生が貴重な資料を寄せてくれて嬉しい<つながり>が確認できた。
村松学長のフェミニズム理論信仰は著名だが、大竹副学長まで「その手」の御仁だとは知らなかった(知ってみればヤッパリという感じかな)。
情報をくれたヒトは、「大竹女史の業績は論を立てるというよりも、資料を集めるというもの」と侮蔑的に言っていたが、どの研究分野でも大別するとその2種に分けられるものの、資料を集めるという方法が論を立てる方法に比べて劣るというわけでもない、と注意はしておいた。
ボクが論の切れ味で勝負するタイプだから、彼は「大竹女史を研究者としてもクダラナイ」と言いたかったのだろうけど。
ボクが大の田島陽子嫌いなのは「イチロー・ファミリー」では知られているので、ウーマン・リブや女性フェミニズム論者全てが嫌いだと勘違いしている向きもあるようで、「アメリカ大統領も学大学長も女性でいいんじゃない」と洩らしたら、女子学生に「センセイが村松学長を認めるとは思わなかった」と言われたことを思い出した。
学長としてはベターな方がいたけれど(長谷川正氏)、大過無ければ誰でも同じだろうという判断があったからだけど。
それが間違いだったのは、セクハラ爺問題を追及する過程で明らかになった次第。
エロ弁護士の件も、情報(複数のヒトから)が送られるまでは全く知らなかったので、知ってみればその人間のショーモ無サが分かって可笑しくて可笑しくて! これもヤッパリ! という感じ。

ともあれ情報提供者の一人であるナベ君が、数年来職場でイジメられている件で相談に来て明るい表情で帰った翌26日、古書展会場のある京王デパートで急死(たぶん心臓発作)した報せを受けてビックリ!!!
詳細は伏せるけど、様々な意味での「事後処理」がとっても大変だった。
その前にも立て続けに数人の卒業生と、電話や研究室での相談話しで<つながり>を確認しつつ楽しんだけど、死という結末は極めて受け入れ難い。ショック!!!

暮れの29日には、前任校の宇都宮大学の学会(近代文学部会)に出席し、親交会の席でメガネを失くしてしまった。(裸眼でも不自由しないせいかな。)
鈴木啓子女子の泉鏡花についての講演と、安吾「紫大納言」をめぐる発言はメチャ面白くて、久々に知的刺激を受けたけど。
翌日は宇都宮から高崎に回って(大宮からの新幹線内の15分程度で賀状の文言を仕上げた)、ナベ君の告別式・葬式に出席して帰宅。
疲れてまとめて眠り込んだ翌31日には賀状作り。
昨年は1人で作ったのだけれど、1年経ったらやり方を忘れていたところ、修論書きに来ていたチャンさんの絶大な協力のお蔭で何とか出せた。ホッ!