次回は朔太郎「日本への回帰」

今日は難物である花田清輝の「錯乱の論理」。
レポのリューマンがそれなりにまとめて来たのはエライが、留学生を始め受講者の多くが何を言ってるか分からないという感想を述べたのも当然。
当時の花田のスタンスが分からないと、テクストの理解が及ばないだろう。
昭和10年代の元左翼のインテリが、満州国その他で様々な活躍をしていたことは、今どきの学生は知らないだろう。
優秀な革命家が転向し、その才能と意欲を国家や社会のために発揮したのは、良い悪いは別として事実としてある。
マルキストの花田が右翼系の雑誌に関与していたのも、以上の文脈と同列。
人は外側からだけでは分からない、ということ。
中国の留学生も受講していることもあり、明治期の宮崎滔天や桃中軒雲右衛門という、親中国系の日本人の存在も補足しておいた。
花田は評論でカモフラージュの方法を使ったが、詩でそれを十全に使用したのが金子光晴『鮫」という詩集。
そのプリントと、来週の朔太郎の詩のプリントを配布しておいた。

花田とくれば菅本康之! 研究室で買った彼の著書が二冊とも見つからないのは悲しい。
どこにしまったのか?
自宅のも行方不明で、レポに読ませられなかったのは悔やまれる。
花田の戯曲もオモシロイ! と教えられたのは、院生の頃の菅本さんの学会発表からだった。
そのせいで、関心の無かった花田の全集本を5〜6冊具えた。(文庫も3冊くらい?)
今までジックリ読めなかったが、定年後の楽しみの一つ。