「小僧の神様」  吉田修一

野口武彦関谷一郎の優れた論が先行するので、この作品で何か言おうとするのは困難だろうと心配したとおりの結果となった。
留学生が先行研究をよく集めていて、その中から三好行雄師のものを引用していたのはチョッと驚き。
学燈社だったか大きな文学アルバムに付された解説文からの引用なのだが、作品末尾のこう書こうと思ったが止めたという「見せ消ち」部分について、三好師が「作者の〈含羞〉の表現」と読んだ「含羞」がレポの留学生には分からないというのは興味深かった。
「含羞」やテクストに出てくる「粋」や「通」というのは、文化の違いによっては伝わりにくいのも当然だろう(留学生が10名の授業)。
「粋」の反対語の「(生)野暮」と対照させつつ、間接性と直接性との差異として説明しつつ、発展として九鬼周造「『いき』の構造」を紹介しておいた。
手頃な例とは言えないものの、作品末尾の「見せ消ち」部分に注目しつつメタフィクションを説明したが、その際にジッドも例に出したので10日のヒグラシゼミに参加したいという院生も現れたのは収穫。
知の交流という観点からだけでなく、人の交流という点でも意義深いと思うから。

次回は吉田修一「water」(『最後の息子文藝春秋社)。
吉田の本は何冊か持っているけれど未読、とてもイイきっかけとなった。