14日は・・・(増補版)

14日は「日本文化私観」を、最近絶好調のユウタ君(とサットマン?)が発表する。
最近は多忙で不参加の天馬クンが文字通り「馬」のごとく駆けつける模様。

7日の「白痴」論は発表者のムック立大博士とヤスオ君が健闘して、ユウタ君を始めとするフロア(現役生は参加者の半数のみ)の突っ込みに耐えながらレベルの高い議論ができた。
ヤスオ君が繰り返した「往来性」という適語が、思いのほかハマって無傷で済んだ印象。
ムック博士の発表は、前半はそのまま論文になるほどの緻密で高度なものだったが、いざという落とし所がツマラナイ先行研究に引きずられて腰砕けになってしまったのはザンネン。
拙論でも、また安吾を取り上げて以来授業中に強調してきた私見でも、安吾テクストは多義的なので一義的に絞れないと言い続けてきたつもりだが、ムック博士はそのような「従来の読みを根本から覆すような」発想自体がムヤミには受け入れがたい、と言って用意してきた変わりどころの無い結論に固執気味だったのは惜しまれる。
ハカセの動揺は伝わってきたので、ジックリ再検討してテクスト全体の読み方を変えればリッパな論文になるはず。
それにしてもその昔は、個性の強い先輩達(築山・新城・城殿・本田・武智などのモノスゴイ面々)の影響を鵜呑みにしたのか、自分の立場はテクストを「読まない」のだと言い張って当方(他の学生も?)を面食らわせたムック博士が、今やテクストをシッカリ読まねばいけないと言い張るのだから、人は時代と共に(トシを取ると)変わるものだと実感。
ムック君は強烈な先輩達によってツブサレタと思っていたのに、生き残っていて幸いだった。
当のテクストは中島敦「環礁」中の「マリヤン」だったと記憶する。
ともあれ、今回の授業からも学会誌に載るべき論文が現れそうで嬉しい。

ムック君から、拙論が先行研究を「オバカ」呼ばわりしているのを叱られた(庄司肇の論)。
老いては子に従えとは思うのだけれど、プロならバカなことを書いてはいけない! ということは強調しておきたい。
若い頃から、読書していてバカな記述に逢うと、欄外に「バカ!」とか「死ね!」と記してきたので、ボクの私本を学生に貸すとオモシロがられている。
読む者の時間と紙の無駄になるようなことは絶対にするな! という主張に誤りは無かろう。
モノを書くニンゲン(知識人)は、常に書かない人間(大衆)によって自己を相対化しているべきだ、という自覚は保持し続けているつもり。
ボクにとっての「大衆の原像」は、45歳で急死した祖父に代わり、18歳の頃から家族7人を養い続けた親父である。
親父が自分に課した労苦に匹敵するものを書かねば申し訳ない、という意識は薄らぐことはなかったつもり。
『日本近代文学』の最新号のブックレビューで、著書や読者に対してキツイことを記したのも、そうした覚悟からなので悪しからず!