信用しがたい素人(しろうと)・猪瀬直樹 <講演付記>

「付記」というより、こちらが言いたかったこと。
講演でも言い忘れて、話し終わってから質問タイムで補足したもの。
『笑いと創造』(勉誠社、平成20年)第5集でも書いたのだけれど、あのチンケな猪瀬(あまりにピッタリするのでチンケを欠かせない)が『ピカレスク』という題で太宰治伝を出しているのをご存じだろうか?
知らないで欲しいのだが、それだけヒドイ本、「作家」という肩書を使っているが、猪瀬は文学方面の作家ではまるでない!
(三島についても本も出しているようで、その厚顔ぶりには呆れるばかり!)
「作家」というとツイ文学者と思ってしまうが、彼は「ノンフィクション作家」あるいは「ドキュメント作家」であっても、いわゆる「作家」ではない。
1000万使って(5000万ではない・笑)アメリカに通って資料を集め、『ミカドの肖像』という本を書いて認められたのは知っていたが、やはり文学ではない、もちろん文学なぞ神聖視しているわけではないが。
何が言いたいにかというと、猪瀬はこの本で太宰の例の甘え切った「井伏さんは悪人です」という言葉を鵜呑みにして、井伏を徹底して「悪人」に仕立て上げようと目論んでいるということ。
その手つきがまるでド素人であることは、何よりも<表現>に関わる基本的なことが分かっていない点で一目瞭然。
井伏が素材にした本と同じネタと使おうが、内容が全く同じだろうが、井伏の言葉で表現し直された時には全く異なったモノとなる、という基本的な事情が猪瀬には理解できていない。(文学部じゃなかったのだろうから仕方ないかも。)
井伏も太宰も、実にたくさんの他人のネタを元に小説を書いているが、それぞれ内容的には同様でも素材と小説とは全く次元が異なる、ということが読めないと猪瀬のように井伏をパクリの悪人と規定して終わることになる。
具体例には事欠かないのでいくらでも上げたいものの、そんな余裕も無いので詳細については、前掲の拙論のコピーを希望者には渡す(送る)ので連絡されたし!

猪瀬自身が使った言葉で結論的に言えば、猪瀬は「政治の素人」だけに止まらず、文学でも素人だから、彼の書いていることを信用してはいけない。
政治面では、慎太郎(「悪人」の代表である石原)の後を引き継いだものの、慎太郎時代からの慣例であったと思われる5000万の処置に苦慮した結果があのざま。
挙句の果てがあの冷や汗だから、笑えること笑えること!