『太宰治スタディーズ』の会 & 安吾・石川淳研究会  『繍』・『論樹』・『論調』

最初に訂正しておかなければならないのは、14日に開催された安吾と淳の合同研究会はもう一つ太宰治スタディーズの会との共催だったこと。
会場に行っても暫くそのことに気付かず、ボクが注目する若手研究者であるガチャ(松本カツヤのカツヤを太宰風に捩った名)が来てたので太宰の会でもないのに熱心なヤツだと感心していたら、会の終了を告げる司会者が「3つの研究会」の共催だと言ったので初めて気付いたものだ。
機関誌『太宰治スタディーズ』は創刊以来贈っていただいて感謝かつレベルの高さに感心していたのだけれど、研究誌活動のみならずこうした研究会もやり出したとは嬉しいかぎり。
ついでにいつか感想を述べたいという予告も兼ねて、『太宰治スタディーズ』のようなハイ・レベルの研究誌が少なからず続けられていて、研究界を支えていてくれて心強いということを記し止めておく。
早稲田の『繍』のように質量共に持続しながら啓発してくれる機関誌もあれば、首都大学東京の『論樹』のように廃刊される心配を拭いつつ継続している姿には心を打たれる。
新しいところでは『論潮』のように上の世代も巻き込みつつ、活力を感じさせる雑誌も読みごたえある。
中でも最新号(第6号)は金時鐘特集を組んだ400頁近くの充実ぶりで、貴重であり啓発的である。

さて肝心の研究会であるが、最初の太宰論は何とか聞き通せたと思っているが、後の2本は例によって(というより、いつも以上に)途中から眠り込んでしまって発表の全体像が全く不明のまま討議に移ったので、研究会自体が掴みどころのハッキリしない印象のまま終わった。自分のせいではあるが。
1週間前から肺炎を患い、その騒ぎのために十分用意もできないまま、また睡眠時間の乱れで当日は深夜2時間ほど寝ただけで参加したのも、発表や議論に集中できなかった原因ではある。
退職したらもっと安吾にのめり込めると思いきや、1年ぶりくらいで安吾テクストに向かった懐かしさを感じたほどのご無沙汰だった。
「花妖」は初めて読むもので、これほどの長さとは思わなかったので取り掛かるのが遅れ、読破できぬまま参加するハメになった(昨日やっと読了。発表も議論も理解できなかったのも当たり前)。
全体討論は各研究会から一人ずつ例のディスカッサントとかいう人が出て自身とは異なる研究会の発表にコメントしていたが、石川淳サイドからは前回ここで記したウロンな人が再登場してきたのでトウロンが危ぶまれた。
石川淳研究会はよほど人に欠けるようで、先が心細い。
太宰ばかりに集中しやすい若い研究者の奮起を促したい、そでだけの価値のある作家だと思うので。
仮眠から目覚めたらリンさんの声が聞こえたのでヤバイ(昔の意味でマズイ)と思ったけれど、後で肺炎だと言ったら「静養してなきゃダメじゃない」と優しく応えてくれた。
ヤバイと思ったのは条件反射で、学会でリンさんに会うと親睦会に付き合わされるだけでなく、住まいが一緒の国立に着いてからも「セキヤ、もう一軒行こう!」と連れ回されるので(前橋高校の先輩である栗原さんが一緒の場合が多い)、翌日は必ずヒドイ二日酔いを強いられるからだ。
肺炎だと酒も呑むきにもならないので、リンさんから放免されて安心して発表を聴いていたらまた寝込んでしまった。
それにしてもリンさんの姿勢が和らいだのはボクに対してだけでなく、発表者たちにも懇切丁寧な態度で指導するほどの勢いで感心したものだ。
立教大での教育体験のせいかな? (トシのせいじゃないよナ、リンさんに限って。)
ともあれ睡眠も足り、「学問的」な刺激も十分に受けたので、充実した気持で帰宅してまた寝た。

@ この記事も書き終わるまで数日を要した。
 途中でべつの記事を書きたくなっても、これを「下書き保存」にしておくと別の記事を書けない。
 どうすりゃいいのか分からないンだけどなァ〜。