学芸大の「専門バカ」たち

東京学芸大学では数年前から耐震工事が続いていて、工事中の研究室・演習室・学生控室などは一時的に(半年ほど)他学系・他講座の一部に間借りとなり、肩身の狭い思いを強いられる。
ボクの研究室は退職半年後に工事が始まったので心底ラッキーと言うほかないが、代わりに赴任した特任教員の鬼頭さんや隣りの大井田さんも望まぬ引っ越し騒ぎに巻き込まれてカワイソー、こちらに責任はないながら胸が痛む。
国語講座は工事が始まるずいぶん前に講義棟にある2つの演習室を無償で奪われた上に、今回の工事に際しても2つの演習室(1つは自習室と会議室を兼ねる)を奪われたという。
1つは教員の会議室であり、普段は学生の自習室として使われていた部屋なので、それが奪われたために学生は自習の場(参考図書が充実している部屋)も無くなれば、自主ゼミの場も失ってしまった。
図書館も工事中で使用できないので学生は学習の場所がなくなり、2つの演習室を利用していた自主ゼミの場も制限されることになってしまった。
自主ぜみは半世紀近くの歴史あるもので、十数種類あると思うが顧問の教員も毎回出席するほどの活発ぶりで、国語教室の「売り」である。
以前奪われた講義棟にある演習室も自主ゼミの場なのだが、悪いことは重なるものでこの講義棟はトイレ工事のため11月初旬まで使用を許されていない。
国語講座にとって、特に国語講座の学生にとって、今は歴史的な受難の時期(とき)のようだ。
2年生以上は公私にわたって付き合いがあった(ある)学生たちなので、他人事(ひとごと)として見てはいられない。
特に聞き捨てならないのは、自習室や自主ゼミのための部屋の代わりに用意された部屋が、学生は使用禁止を伝えられているそうな。
自習室兼教員の会議室の代わりとなるべきこの部屋は、会議の際には国語講座の教員は正面玄関からではなく外階段を利用して入室するようにとも伝えられたとのこと(廊下隅の部屋だから可能ではある)。
教員へのお達しは正式なものなのか、個人の要望を言いやすい相手(女性教員)だから伝えたのかは不明ながら、国語講座の教員・学生相手の排他的態度は人文社会研究棟4号館の住人のものである。
要するに社会科の教員の研究棟なのだが(一瞥したかぎりでの記憶では哲学・政治学・経済学分野?)、2・3の方は親しく挨拶し話しも通じる真っ当な人であるものの、大方は教育よりも我が身と研究が大事と考える自閉的な教員のようで、ボク等が学生の時に吊し上げた半世紀前の大学教員そのままなのは呆れるばかり。
全共闘の学生たちはこういう教員を「専門バカ」あるいは「専門もバカ」、中でもヒドイ教員は「バカ専門」と呼んで軽蔑していたが、この建物の住人がそのどれに当てはまるのかは分野が異なるので判断できないながら、少なくとも「専門バカ」の可能性大である。
現実世界から離れて静かな無菌室のような場でお勉強する状態維持のために、他講座の教員や学生に対して排他的になるのであろう。
この建物の正面入り口の立札には、「トイレだけの利用のための入館は遠慮せよ」とあることからも分かるように、静謐な雰囲気で研究したいという御仁たちなのだろう。
学生のみならず教員同士の話し声も気に障るから国語講座の教員も正面から入るな、という請求を突き付けてきたものと見えるが、無菌室に自閉したがる御仁には教育能力は期待できない。
教育は現実世界でさまざまな菌に冒された学生(時には教員)を相手にする仕事だから、無菌室の住人に学生と伴走する能力を期待するのは無理というもの。
ましてやボクが学内誌『TGU』の退職教員記念号で危惧したように、ウソで固めた安倍晋三内閣(福島の海は安全だと世界をダマした安倍は、今日は桜島が爆発しても川内原発は安全だと公言して国民をダマそうとしたという)が学生を戦場に駆り出そうとした時に、無菌室育ちの教員は学生たちの背中を押すに違いない。


ニックネームを付けられる教員もいるほど学生との距離が近く、研究室に学生が出入りするところが多い(ボクの部屋は常時まるで学生控室の状況だった)国語講座の部屋・建物とは、まるで様子が異なるのは驚くばかり(もちろんセクハラその他のハラスメントで処分されたクレイ爺だけは例外だった)。
国語の自習室(兼演習室兼会議室)は研究室とほど遠くない所にあったが、社会科の学生自習室(控室?)は社会科教員の研究室から遠く離れた講義棟に置かれているのもうなづける。
この社会科学生の自習室が以前奪われた国語演習室の隣りにあり、ゼミをやっていると時々声高な話し声でジャマされたものだ。
歴史分野の学生の部屋かと思っていたので、何度か大石さんに注意を促してもらったものの、あまり徹底しなかったのは社会科の学生のレベルの問題なのか?
話し声のみならず教員用の椅子が2度にわたって盗まれ、2度ともトシ食った男子学生が自習室で私用していたのには呆れたものだ。
学大の学生といえども授業をやっている教室の前を声高で通り過ぎていくのは、昔とは学生像(或いは学生のレベル)が変化したのであろう。
だから4号館の教員が先手を打ち、できるだけ学生(と他講座の教員)を排除しようとする心理は見透しやすい。
まさか歴史に残るワル学系長・上野某の国語講座排除の意識を継承したわけでもあるまいが、上野某程度の存在に堕す前にあまりにジコチュウな姿勢は改めるべきであろう。
学生のレベルの変化とは無関係に、そもそも無菌室の住人の中に変人・偏屈なのがいるという困惑も聞かされたこともあるが、大学教員に目立つ特徴ではある。
自己中心主義ニンゲンといえば、以前にもブログに記した記憶のある岩田重則という教員も人並み外れていたものだ。
教員・事務員の親交会から脱退したと発言していたのだから、よほど他者容認の苦手な御仁なのだろう。
学生こそ教員にとっても大事な他者なのだから、教育現場にいること自体がこの人には苦行なのだと察せられる。
この人の逸話で有名なのは、学祭中に研究室に来ると学生の音出しがウルサイので研究に没頭できないと教授会で訴えるのが毎年のことで、呆れてモノが言えない状態だったのはボクだけじゃなかったと思う。
何も学生主導の日として任せている学祭の最中に、のこのこ大学まで来る必要も無かろうにと誰しも考えるだろうが、自家には自家なりに他者(邪魔者)がいるためということなのだろうか。
カワイソーだったのは、岩田研究室がその前に国語教員がいた部屋をそのまま受け継いだので、周囲がウルサイだけでなく噴水前広場に直面していたこと。
学祭ともなれば学大で一番ウルサイ部屋になる、と言ってもいいかもしれない。
氏の部屋が前述の無菌室だったら、もっと救われた思いで学大生活を送れたかもしれない。
しかし音楽は建物の中で演奏・鑑賞すべきだから、噴水前広場で演奏会をやらせるのは反対だ、と毎年教授会で繰り返していた無知さ加減には呆れたものだ。
ベルリンフィルが毎年ヴァルトビューネで開催する屋外演奏会が歴史もあって有名だろうが、ウィーンフィルも毎年シェーンブルン宮殿前広場で屋外演奏会をやっているし、室内楽ながらオランダ運河演奏会も毎年開催されているものと思う。
オペラに至っては、シュヴェツィンゲン音楽祭だったかは毎年湖のほとりでやっていると記憶するし、古代ローマの円形劇場を利用する音楽祭も複数あるのは広く知られていよう。
クラシック音楽でさえ、時には屋外で楽しんでいるのだから、ロックを始めとするポピュラー音楽祭が野外で行われるのはあまりに一般的である。
音楽は室内で楽しむものだという偏見を岩田氏が生育過程のどこで刷り込まれたのかは知らないが、視野を狭めて思い込むパワーは他人(ひと)を圧倒するものがある。
噴水広場前のコンサートは終了時に主要メンバー(?)を池の中に投げ込む歴史があり(ボートレースじゃあるまいしとは私も思う)、ある年にこれをやっている最中に岩田氏が現れて大声で中止させたという。
危険を感じたので止めさせたというご本人の得意そうな教授会報告でそれを知ったのだが、カン違いや思い込みもここまでくると笑えて「ほとんどビョーキ」(山本晋也監督)じゃないかと思われる。
わが研究室が輩出した優れものの1人、アイちゃんが語ったところによると、彼女のご両親は噴水前コンサートで知り合った間柄だそうで、岩田氏の蛮勇をいたく悲しんでいたものだ。
この困ったセンセイも数年前に他大学に移ってくれたので、学大の学生としてはジコチュウ的に喜んでいいだろう(移動先の学生には迷惑かもしれないものの)。

学大赴任当時の岩田氏には忘れがたい好ましいエピソードもあるので紹介しておきたいが、学生の卒業判定に関わるものである。
当時の岩田氏が属していたのは日本研究という教室だったが、そこには岩田氏が来たために文学担当教員がいなくなったにも拘らず、学生の中には入学時の初心どおり文学研究で卒論を書く者がいるのも当然だった。
結果としてマトモな指導を受けられないままで卒論を書くハメになった学生がいたのだが、卒論発表では自他共に不合格の可能性に怯えていた様子だった。
ボクの所に助言を求めてきたこともあったけれど、あまり熱心さを感じさせてくれない学生だったので卒論のデキが低いのも已むをえなかった。
就職(確か浅草の靴屋さんだった)が決まっていたせいではないが、卒論発表についての感想を求められたボクが「国語の学生も毎年たくさん卒論で失敗するけれど、国語教室ではない○○さんが堂々と失敗したのは見上げたもンだ。」だから合格! というのは言外に秘めて部屋から退出した。
日本研究教室でボクの担当はこの学生だけだったからだけれど、後からボクを追いかける足音が聞こえたので振り返ったらこの岩田センセイ。
「今日はホントにありがとうございました!」と何度も言われて驚きながら挨拶を返したのを覚えている。
あるいはボクが専門的立場からハッキリ不合格を言い渡すかもしれないと危惧していたためか、学生の身を心配するセンセイの気持がストレートに伝わってきて気持良かった。
赴任当時の岩田氏のピュアなところが現れていて、その後の変りぶりが残念なのだけれど、移動先の大学で無菌室で治療を受ければ、否、癒されれば昔の岩田氏に戻れて教育面でも活躍するようになれるかもしれない。