吉本の詩が分かった!  疋田雅昭  野山嘉正を見直した

吉本隆明の最高傑作「固有時との対話」がこんなに理解できた気がしたことは無かった。
すべて疋田雅昭氏の発表のお蔭で、参加者もそう口を揃えていた。
近々論文として発表する予定だそうだから、ここで内容については言えないが、発表されたら一読を勧める。
その前に未読の人は詩自体を楽しんでおくことをおススメする。
難解だが、実に素晴らしい作品だ!

この際だからと思って、『國文學』(昭和59年12月)の「詩集とは何か」という特集号で野山氏が「固有時との対話」を担当しているのを一読した。
闘争者・吉本リューメイの詩を逃走者(?)・野山カショーが解るはずがないという先入観のために、読む気もしなかったものである。
ところが意外や意外で、真っ当な理解(もちろん時代の制約もあるが)で驚いた、それも真っ当な日本語で書かれていたので。
《「うた」と「物語」を排除することによって或る必然を内包しているように見える。》
《自己存立が自らのメタフィジックスの確立と同義であり、詩語の響きも人外のものとなる。》
山梨大学に勤務していた頃の論であるが、今これが野山氏の文章だと信じる人はいないのではあるまいか。
2・3年ほど前に氏の近著を贈られて小林秀雄絡みの章だけは拝読したのだが、氏の専門外だけにこの章が無い方が大著に瑕疵が残らなかったのに、という感想を含む礼状を書いた記憶は残っている。
驚いたのはあとがきの文章のもつれで、文頭・文末が一致しない初歩的な錯誤から始まり、何が言いたいのか文意の取りにくさに閉口したこと。
後で学会で会った知人に言ったら、野山氏の文意の分かりにくさに気付いた私が今さらのことで、昔から知られたことだと言われて納得。
そんな経緯があったので、今回「固有時との対話」論を読んで見直したしだい。
いつから奇異な文章を書くようになったのかは知らず、また興味もないものの、野山カショーもそれなりの論と文章を書いていた時期があることは、頭ごなしに氏を否定する人々に強調しておきたい。

それにしても、独りで読んでいると手懸りもないまま理解が及ばない詩作品が、詩の専門家の解説によって分かった気にさせてもらえる歓びは格別である。
参加者の1人も同趣旨の感想を寄せてきたことを疋田氏に伝えたい。
前にも詩歌を読む快楽について書いたと記憶するが、難解な現代詩を時間をかけて読んでいると量的にはこなせないものの、感動の深さによる質的な満足が得られて嬉しい。
ここでもまた「量より質」である。
初めて読んだ吉本詩に強い感銘を覚えたと言ってきたサユリちゃんには、吉岡実・吉原幸子・木原孝一・那珂太郎などを紹介したら共感してくれたのも嬉しい。
現代詩文庫(思潮社)に入っている面々ながら、吉岡実だけは在庫切れで入手できなかったとのこと。
吉岡の代表作、というより戦後詩の代表作というべき「僧侶」は宇都宮大学在職の頃から時々授業で講義していたものだが、吉本詩と同様これを知らずに生涯を終えるのは惜しい作品、ぜひ一読を! スゴイよ。