野口武彦「三人称の発見」

94年出版の本で在職中に研究室に備えたものの、読むヒマが無いまま退職してしまった。
気になっている本なので改めて借り出して読んでいるところだけれど、オモシロい。
とはいえ眉唾モノの雰囲気もあるので警戒しながらの読書だけれど、専門が近世の人なので近代バカにとっては言うことも引用文献も新鮮だ。
《江戸時代は、三人称を知らなかった。》という命題が各章の冒頭に置かれていて、これが呪文のルフランとして提示されているのも、つい読みたくなる効果を生んでいるのかな?
求心的に論理を突き詰めていく書き方ではなく、話題を次から次へと広げていくのも魅力で興味深いから、結論が間違っていても構わないという気持で読んでいる。
野口さん自身が論と言わずにエッセイと呼んでいるように、あまり論理に重きを置かずに自由に書きなぐっている感じが伝わってくる。
読み始めた頃は文章が素人臭くて気になったけれど、学部生の頃にこの人の小説(いわゆる中間小説かな)を読んだ時には感じなかったから、そもそも論理的な文章が苦手なのかもしれない。
今は慣れてきたのか気にならないけど、ずっと引っ掛かっている箇所があるので皆さんのお知恵を拝借。
《表現の飛躍・連想の自由が、修辞的に言へば、幾多の欠陥を作つてゐる。だが、其に替る色々な特殊性を付与して来てゐる。善悪ともに、律文的な文格の推移である。併し、単に其だけでなくて、さうした推移が自由なのは、散文の拘束から脱するを煩ひとせぬ気易さが、習ひとなつてゐたのだ。》
折口信夫西鶴に見えた正風の発生」からの引用なのだけれど、野口氏は次のように展開していく。
折口信夫は、「散文の拘束」という言い方をしている。これは驚くべき洞察である。当時、近世散文は未成立であったが、古典的あるいは擬古典的な散文はあった。西鶴俳諧の「律文的な文格」は、そこからの離脱の手段であった。ただ日頃なじんだ手法の応用というだけのことではなかったのである。》
問題は「散文の拘束」の「の」の解釈で野口氏は連帯修飾語として理解しているけれど、ボクは主格として読んだので野口氏の論理がサッパリ分からない。
だから《散文の拘束から脱すると煩ひとせぬ気易さ》は散文というものには拘束から容易に脱することができる気易さがある、という意味だと思うのだけれど如何なものだろうか?
野口さんの解釈だと、散文自体が韻文のような拘束力を持っているという意味になって納得しがたい。
野口さんの言うとおりだとすれば、逆転の発想で斬新なオモシロさには違いないけれど・・・

以前とっても優れた文芸批評家だと思っている山城むつみ氏の小林秀雄論の著書にも、細部で読み違いがあると思って具体例を提示したけれど、野口さんのエッセイにはこの種の誤りがもっとありそうなので眉唾モノと記した次第。
最近でも忠臣蔵だったかについてのエッセイも出版していたかと思うけど、読んで楽しめば好いのであってその上に奇抜な(?)アイデアからヒントが得られれば喜んでいただくということで良いようだ。
最初期のエッセイ『江戸文学の詩と真実』とかいうエッセイは、野口さんの師(の一人)である三好行雄氏も褒めていたのを聞いた記憶があるけれど、三好師がもっと面白いエピソードを教えてくれたのを忘れない。
ある日女声の英語で電話がかかってきたので往生していると、やがて女声は渡米中の野口さんの声に代ったので彼のイタズラだと判明したというのだ。
おおかた現地で買った娼婦にイタズラの加担させてベッドの中から電話をしてきたのだろう、と三好師は苦笑していたものだ。
トシをとると昔の記憶は蘇ってくるものの、最近のことを覚えていられなくなるというのは確かだネ。