泉鏡花「小春の狐」  口語と文語

もともと鏡花は「オハに合わない」ので(ヒグラシゼミでも)避けていたのだけれど、イー君の熱意にほだされて取り上げた次第。
一読、それにしてもヒドイ作品だと心の底から思ったネ。
よくもまアこんな作品をと愚痴りたくなったけど、ツマラナイ作品を面白く読むのを目標としている(させている)ので、きっとイー君と仲間が楽しませてくれるのだろうと考えなおしたヨ。
期待どおりにレジュメが挑発的で反論・議論を呼んで盛り上がったので、聴いていてあれこれ刺激されたのは収穫だった。
初参加のトミー君の批判から始まり、久しぶりの参加となった子連れ狼(鋭いツッコミ女)のオキヌちゃんのジャブの連続、他の参加者からも疑念が出されたので、さすがのイー君もタジタジながらそれなりの理屈付けに四苦八苦していた。
ボクに言わせればそれも当然で、イー君がこのテクストに負わせた(読んだ)メルクマール的意義を担い得るような作品ではないからだろう。
オピッツ君の、物語内容ではなく物語言説ひいては物語行為に注目すべきだという指摘にはもっとも賛同できた。
一読した印象の「テクストのゆるさ」がイー君の壮大な(?)意味づけに応えることができないのは明らかだと思うけど、立教院生の頃に石崎先生の鏡花の授業で鍛えられたヒッキー先生が与えてくれたヒント(アイロニー?)が役立ちそうだったので、どうなるかはレジュメを磨き直した結果を待ちたい(今回のレジュメを元に公式的な場での発表が予定されているので詳細は書けない)。
鏡花については無知なまま、ツマラナイ作品に対する不満だけでなく種々質問してご教示いただいたけど、皆さんが「小春の狐」が文語表現だと思い込んでいたのには驚かされた。
口語文だと納得してはもらったものの、ヒッキー先生も言うようにいかにも鏡花的文章(文語的文章?)であるという印象は拭いがたい。
原子朗先生(師弟関係ではないものの「学恩」を感じているので「氏」や「さん」呼びにくい)の「文語と口語ーー萩原作太郎論」(『文体の軌跡』収録)を思い出し、「氷島」が文語を使いながらも本質は口語文という説を反転させて、「小春の狐」は基本的には口語でありながらも本質は文語文という考え方もあるとは付け加えておいた。

常連のナオさんがケガで欠席(その後回復)した代りのように、マチルダさんがカステラをオキヌがカステラ菓子を差し入れてくれたので飢えることは無かった。
意外に2ケタの参加者で喜んだけど、オキヌが一賊(ダンナと子供3人)で参加してイチローゼミらしく子供の声を聞きながらの議論だった。