東京学芸大学国語科・2014年度卒業生へのお礼

20日の謝恩会への招待状をもらった瞬間はお断わりしようと思った。
退職が近づくとともに、学生に対して拒絶するオーラ意識しても発してきたわけだし、だから昭和文学ゼミ員以外は「難しいし単位も取りにくい」ボクの授業は避けているはずだと考えたからだ。
しかし招待状をよく見たら、中にミナミちゃんからのお誘い「ラブレター」が同封されている上に、出欠の宛先が安松となっていたのでチョッと待て、と自分に言っていた。
そうかあの学年か、とすぐに想起できたので「こりゃ行かないといかん!」と思い直したしだい。
こちらから拒否し始めたのは今の3年生以下の学年だったのに、勘違いしていた自分に気付いた。
それはともかく個人にカラーがあるように、クラスや学年によってもカラーが異なるのは自覚しているだろうか?
個人に対して合う合わないという相性があるように、学年によってもあるものだ。
20年超勤務した学大では4回ほど担任したのだろうか、・・・中には自分とは合わない学年があって(他の学年とくらべると)お互い馴染めぬままに卒業後も連絡皆無というのが1つある。
和文学ゼミ員がゼロだったせいなのか、馴染めなかったのでゼミに来なかったのか? 
新入生合宿にも付き合ったし、相談に乗った学生も覚えているけれど、謝恩会も出たのかどうかさえ忘れている。
それに引き換え、この安松学年には親近感があることを自覚して参加させてもらうことにした。
ちょうど汐留の美術館のパスキン展に行きたいと思いつつも、遠いので気が重かったのだけれど、帰りに新宿の謝恩会に寄れば一石二鳥で気が楽になるとも考えた。
トシのせいかトシン(都心)がトおい(遠い)のだネ、シンが弱いから。
フロアで話していたら、名前は思い出せない学生から1年時の「近代文学概論」や「日本文学史Ⅱ」の試験のスリリングさを語られたら、来て良かったンだと感じられた。
昭和ゼミ員の卒業生とは(4人中2人)先日のヒグラシゼミでも議論したり呑んだりしたけれど、ゼミ員以外の卒業生とはつながりを感じられないまま別れるところだった。
長い時間のようでいながら短い時間に思えたのだから楽しく過ごせた上に、花束(今は仕事机上にある)とお土産までちょうだいした。
トシとともに物をもらってもダブるので嬉しいことは少ないのだけれど、保温効果の高いマグカップだったのでダブらず嬉しかった。
研究室に出入りしていた学生はご存じのように、ふだんはいつまでも冷めたお茶やコーヒーを呑んでいるのだけれど、これからは保温状態の飲み物を楽しめることになった。
楽しい食事会(ビールがモルツだったのはサイコー!)のみならず、ありがたい贈りものをもらってますます忘れられない学年になった(お世辞かな?)
でも実に楽しく、また嬉しかったのはホント!

 時間が無い中で送る言葉として、孤立しないように卒業後もゼミなり研究室に来るように話したけれど、一つだけ付け加えたいのは、自分達が卒業した後に演習室や研究室が改築されて残念だと思わないで欲しいということ。
むしろ改築される前の状態を体験したことを幸福だと思って欲しい。
先般の嶋中先生の最終講義の後の懇親会で、参加した卒業生の複数から「昔は廊下にソファがあったりしたのがなくなっていて、改築で違和感を強く感じる。」という感想を聞いた。
前のブログで詳述したように、改築が護岸工事と同じくただキレイにしたいだけ一心になってしまうと卓さんの生き物が死んでしまうので、頭が固い・心が狭い教員が改築を護岸工事化することによって学生を排除したり生き(行き)にくくすることになる。
例えばソファは芦原のようなもので、種々の生物が生きる場の「象徴」だったというのが、卒業生の感想からうかがえた。