トリプル・スリー  ラグビー  一郎丸?

流行語大賞が発表されてトリプル・スリーが選ばれたのは何よりだ。
こんなにスゴイ達成は無いので、今までやり遂げた選手が少ないのももっともだ。
打率が3割でも、ホームラン30本でも、盗塁30でもその一つだけでもクリアするのがタイヘンな記録だから。
氷上で便所掃除をするような何とかいうゲームまでオリンピックで競われるのは人を馬鹿にしている感じがして不愉快だけど、ゴルフを含めて(達成はともかく)ハードルが低くて誰にでも可能性が開けているスポーツとは大違いで、プロを目指すには野球は最初からハードルが高いスポーツの好例だろう。
だからプロ野球選手としてやっていられる人数は限られている、その中でトリプル・スリーを果たしたのだから柳田・山田はモノスゴイ選手なのだ。
これに比べれば流行語にも入った五郎丸選手は、実よりも名が先行してしまった感と拭えない。
野球で言えばハンカチ王子たる斎藤投手のようなもので、ハンカチを使った目立ちたがりのスタンドプレーで有名にはなったものの、高校・大学で実力のピークを迎えてしまったのにプロに入ったものだから勝てずに苦しむしかないわけだ(日ハムファンとしては明言したくないながら)。
タグビーが広く知られるようになったのは実に嬉しいのだが、五郎丸ばかりに集中しては他の選手がカワイソーだ。
キッカーだって五郎丸ばかりじゃあるまいし、祈りポーズのスタンドプレーで目立ったために騒がれて流行語にまでなるのは、いかにも単純な日本人特有の同調圧力を感じて愉快でない。
じつはこう見えても一郎丸(?)も前橋高校時代時代には、授業中のラグビーではスゴイ活躍をしたのだが誰も覚えてないようだ。
1年生の体育の授業では冬ラグビーをやり、短距離に自信のある一郎丸(同級に陸上部の200m走の選手がいたが、彼よりも100m走ではタイムが良かった)はパスを受けると誰にも渡さずにひたすらゴールに向かって走り続けて必ずトライすること6・7回、誰も及ばなかった授業中記録を打ち立てたのだ。
同学年の糸井重里などは生来の鈍い運動神経の上に、隠れて煙草など喫っていたからラグビーなど参加できなかったのじゃないかと思う。
それだけスゴイ一郎丸にも及ばなかった友達が二人いて、一人は同級の野球部赤木クンで後ろから追いつかれてタックルされたことがあるのを忘れない。
彼は100m走タイムがボクより0秒2速かったのだが、彼でも高校卒業後の野球生活は知られていない。
もう一人はラグビー部の設楽クンで正面から部活らしいホンモノのタックルをしてきたので、ボクは思いっきり後頭部を打って日赤病院に行くように言われてしまったのだ。
当時は脳外科が発達していなかったので、病院に一泊させられて翌日脊髄に血液が混入しているかどうかを調べるだけだった。
翌日いざ背骨の隙間にブッとい(太い)針を刺されているところを見物していたのが、同級の文学好きの田代クンだった。
「関谷、痛くなかったのか? 恐ろしいほど太い針だったけど」と言われたけれど、背中に目がないので分からなかった。
母親譲りなのか、痛みには強かったせいもあったかナ、痒みにはスゴク弱いので夏場はポケットにウナを欠かせないけど。
この田代と付き合っていたお蔭で、ただでさえ受験勉強にシラケていたボクは怠けるようになったと思う。
ヤツは今頃どうしてるのだろ?
ともあれ無事に済んだのだけれど、その後も10年ほど寒くなると頭頂部に5センチほどの痛みを感じ続けたものだ。
今は何ともないけれど、ボケの方が短距離走以上の速さで進んでいる方がコワイ。
書きながら思い出せると思ったブラシで氷をこするゲームの名が出てこない。
あんなゲームはゲートボール同様に老後の楽しみに止めるべきだろ!

(今日は昨日深夜湯上りに呑んでしまった二日酔いのため、脳が活性化しないのでテレビを見ながらメールチェックをしたりブログを書いたりしている。
今は「知恵泉」で伊奈忠次の防災術を見てる。)

(後注)ラグビーなのにゴールと記してから変だなとは思いながら「トライ」が出てこなかったので、今訂正しました。
 話題になっていたのにラグビーをまったく見なかったから出ずらかったのだろ。