昭和文学会

国立西洋美術館藤田嗣治展を観てから行ったので、2本目の発表が始まっていた。
小林秀雄とのインネンで林房雄は一番聴きたかったものだけれど、途中からでも問題は無かった。
というのも質問コーナーで要望したとおり、発表が物語内容ばかりに偏っていていて歴史研究から文学研究を差異化する観点が伝わって来なかったから。
小林秀雄が「青年」論で《何が歴史小説だ、林房雄まるだしじゃないか》と言っているのと関連するが、(歴史)小説としての評価が問われていないのが物足りなかった。
例えば(小林の冷やかしにも通じるが)登場人物がシッカリ描き分けられているのか、林房雄にその筆力があるのかという問題だ。
どこに文学的評価すべき点があるのか? という問いを念頭に置きながら研究をしてもらいたいものだ(こちらが古いのかな?)。
成田龍一という歴史研究者には「語り」の問題を始め文学的な問いが抱かれているのに、文学研究を目差しながら文学への問いが欠落していては残念で恥ずかしいとも思うのだが。

3本目が「真空地帯」論だったので、この際読んだことのない(野間宏で読んだのは「顔の中の赤い月」と「崩壊感覚」くらいか)「真空地帯」を読むために前日の研究会が終ってすぐに帰宅してチャレンジしたら(馴染めない作家の一人)けっこうスラスラ読めた。
けれど面白さは感じなかったこともあって30ページも進まなかったけど、発表も刺激に欠けており質問にも全く答えられない低レベルなものだったので、読めなくても後悔せずに済んだ。
それにしてもむやみと長い「青年の環」を読むだけでもタイヘンだろうに、論文も書けてしまう紅野謙介その他の人はそれだけでもエライと思った。

4本目は昔なら院生以外の研究者に締めてもらったものだが、今回はこれも院生だったので心配したけれど充実した発表だ(後期の大江は読んでないけど)と感じられたので安心し(て眠ってしまっ)た。
二日連続で学会・研究会をハシゴすると(絵も観たけど)、さすがにトシには堪(こた)えるものと見える。
チョッとだけ早めに会場を抜け出したら、慰労すべき石川会務委員長に見つかってしまったので、懇親会に出る体力が無いのをお詫びしながら一路自宅へ。
銀行に寄ったので金力はありながらも、研究会終了後に3時間近く談笑する体力が無くなっているのを淋しく自覚したものだ(その点、学大でやるヒグラシゼミは近場であり緊張もしなくて済むから楽だ)。
電車で席を譲られたのは記したとおりで、お蔭で車内でも眠れた。

常任幹事(と一緒に近代文学会の理事も)を一期で降ろさせてもらった代わりに、東京近辺でやる催しにはできるだけ参加する所存で実行しているけれど、常任幹事を共に務めた方々の多くが不参加なのは淋しい。