主催は「合同研究会」というのだそうで、昔、慶応と学習院の院生中心に「合同」で始めた研究会とのこと。
それで(学習院系の)大原さんが安吾で発表することが安吾研究会に案内が載ったという事情が判明した。
ともあれこのところ一番興味のある安吾について(そのわりには2年間ほどご無沙汰してたけど)、ハイレベルな実績のある大原さんの「文学のふるさと」論が聴けたのだから、久々に煮詰まった時間が体験できた。
いずれ論文化されるだろうからここでは網羅的には触れない。
発表のミソは「文学」と「ふるさと」と分けて分析した点で、さすがに頭のイイ人は分かり易く論じるものだと感心したものの、分かりにくい安吾がこんなにスッキリされると安吾の世界から離れてしまう惜しさが残って不満(を質問コーナーでぶつけた)。
「故郷・ふるさと」がテーマになるとすぐに小林秀雄「故郷を失った文学」が呼び込まれるが、安吾の「ふるさと」は他の何にも似ていないと思うのでこの手は止めた方が無難だと思う。
トノ(城殿智行クン・立大院の受講者)の論が2ケ所引用されていたのは、他人事(ひとごと)ならず嬉しかった。
切れ味のイイことを言ったり書いたりするのだけれど、時々何を伝えたいのか掴みがたいというのが彼の通り相場だから。
それを大原さんが冴えた箇所を選び出して提示し、己の論に組み込んでくれたのだから喜ばずにはいられなかった。
大原論はこのエッセイを「如何にして文学を書くのか?」という方法論だと読んでいるので、城殿論の言う「構成力」をピックアップして「書くこと」と関連付けていたけれど、個人的にはトノが二重山括弧で強調している「他なるもの」が「突き放す」感じに近いと受け止めながら楽しんだ。
城殿論からのもう一ヶ所の引用文中にも「紫大納言」の小笛を「《不気味なもの》」と捉えるという見事な理解があるけれど、「《他なるもの》」と響き合ってとても刺激的だ。
終了後にヒッキー先生(疋田雅昭クン・同前)が指摘していたとおり、フロイトを絶妙な手さばきで安吾理解に利用している印象で、改めてトノの頭の良さを実感したものだ。
『早稲田文学』(2005・5)に発表された論だけど、まだ安吾に関心を持つ前に読んだまま内容を忘れているので再読するのが楽しみ。
大原さんが《不気味なもの》は「真珠」の「あなた方」につながるので気になると言ったので、いきなりでビックリしながらなるほどと感心することしきり。
ただ「ふるさと」同様、安吾のエッセイ中の(龍之介に引き寄せられたのか)「生活」というタームを強調してしまうと、これも安吾の主張とズレてしまうと考えるので賛同できなかった。
大納言のレイプシーンを引用するのはいいが、《血が、流れた。》の箇所の直後に菅本康之さん(これも頭のイイ人)の「天女」=「従軍慰安婦」のアレゴリーという論文を引用すると、「血」がレイプと関連付けられるという誤解を生むので注意が必要だと指摘しておいた。
これは段落冒頭の《夜明けは(中略)野獣の血潮をもたらして》を受けているものと読んだので。
それにしても菅本さんの「従軍慰安婦」論は評判が悪いようだ、個人的には安吾研究会最初の会合(於京都)で拝聴した懐かしさが蘇る論なのだけれど。
@ 小澤純さんの発表もとても刺激的だったけれど、時間に押されて急いだ発表で伝わりにくかった。
読み直してから、改めて感想を記したい。