桐原書店の教科書完成祝い

今日は桐原の教科書の編集委員全員が集まるというので、久しぶりに兵藤裕己や長島弘明と会えるのが楽しみだった。
2人とも皮肉無しの大学者なのだけれど、会議を離れるとヒョードーやナガシマという昔ながらの意識で接することができるのが嬉しい。
向こうもセキヤサンという敬称付きで呼んでくれるけど、まるで敬意の無いのは学生時代のままなので気が休まる。
ナガシマがセキヤサンも定年ですか、と感慨深く言っていたけれど、本人も学生時代の面影もなくハラが出ているのは隠しようがないので笑えた。
彼らは専門課程に進学してからの友人で古典・近代という境界を超えての付き合いだったけれど、入学時の友人(教養課程)と同様で隔てなく話せるのも不思議と言えば不思議だ。
学生時代の友人はそのままの意識で現在につながっているので、不思議ながらもとても癒される感じで有難い。
その中でも木邨雅文のように、やっと(企業で)定年を迎えながらも逝去してしまった仲間もいるのが悔しい。
殊に今日は桐原へ行く前に黒田清輝展に寄り(お蔭で会議にただ1人遅刻したけど)、会場に向かいながら木邨と一緒に観たかったものだという思いが浮かんだ時は無念だった。
セイキ展のことは別に記すことにして、キリハラの教科書が売れないと釣り部への参加資金が不足するので、宜しくご採用下さい。
他社版よりも改定に時間と能力を費やした成果がハッキリとした形となって現れたようで、文科省の役人もふと感心の言葉を洩らしたとか。
一昨年のセンター試験の問題として出された小池昌代の小説を(全くの偶然でビックリしたものだけど)採録していたので、現場の先生から「さすがに桐原だ」という感想も寄せられてるとか(笑)。
どんなものでも完全なものはありえないので、ご不満ご批判を持たれるのは当然、それらを遠慮なくお寄せいただきながらより上のレベルのものにしていただければ幸い。
率直なご意見をセキヤまであるいはキリハラまで分け隔てなくお寄せ下さればありがたい限りです。

@ 会議後の桐原主催の慰労会(祝賀会?)は上記のとおりメチャ楽しかったけれど、「お約束の」サッチャン(小林幸夫)主催の二次会はケガのトラウマを理由に断り、東急ハンズ(新宿)で買い物をしてから帰宅した。
  道々酔っていないことを確認しながら歩いていたけれど、セイキ展のために睡眠不足気味のはずなのに不安なく帰れた。
  油断すると危険なので今回の宴席参加は例外として、呑むのはゼミ部や釣り部の仲間が一緒の時(特に泊りの際)に限りたい。