秋山虔先生を偲ぶ会?

昨秋、ご長命だった秋山先生がとうとう逝去なさったのは残念至極、あのお年まで脳が現役だったのでとても惜しまれた。
自分を顧みると脳の老化が加速度的に早いので、先生の驚異的だった若さの秘訣を伝授していただきたかったものだ。
先生のスゴサと「思い出」はその頃のブログに記したと記憶する。
今日、「秋山先生を偲ぶ会」なるものから出欠の返信ハガキ入りの案内が届いて、すぐに違和感を抱いた。
一周忌でもないこんな時期に、必然性を感じさせない会合を何故催すのか、言い出した御仁のカオが見たいというのがホンネだった。
(もちろん一周忌の頃に開催せよということでは全くない。)
俗人でもない先生が、勝手にそんな会をやられて果たして喜ぶだろうか? という疑念が強かった。

秋山先生の名前を使われたことで地方から暑い中集められる人たちのことも考えずに、自分たちだけで(点数稼ぎのつもりで?)いい事をしてると勘違いしているようにしか見えない。
やりたければこんなに大げさにしないで、そういうことが好きな俗人たちだけで連絡を取り合って集まれば済むことだろう。
過剰なほどに謙虚な秋山先生が、そんな俗的な催しが嫌いだということが分かっていないとしたら困ったものだ。
発起人に長島弘明や安藤宏の名前が使われていないのが、せめてもの救いだった。

ちなみに我々近代文学の門下生としては、毎年三好行雄先生・越智治雄先生のそれぞれのご命日にご遺族を囲んで飲食を楽しんでいる(越智先生の場合は事情があって途中から止めている)。
大仰な案内状も出さずに、ご遺族と相談の上で日にちを決めて自然体で集まっている。
メンバーは年ごとに決まってきたけれど、その顔ぶれで三好先生の場合はご逝去した直後に引きこもりがちになられた奥様を連れ回す催しを企画するようになった。
ご命日の集まりだけでなく、忘年会や全国温泉巡りを毎年開催している。
「三好文子を不良オバサンにする会」と称して続けているが、安藤宏たちの世代が対抗して「三好文子を真っ当にする会」を結成して年に1度の食事会を催してくれているのは頼もしい限り。
幸い奥様はいたってお元気で、逆に我々の方がそろって病気がちで情けないながら、安藤たちがいるのでその点は安心している。
「秋山先生を偲ぶ会」が8月25日開催ということで、実は「不良オバサンにする会」の温泉旅行と重なっているものの、最初から「偲ぶ会」自体に疑問を抱いているのでそれとは関係なくすぐに「欠席」の返事を出したところ。
欠席の表示のみならず、「偲ぶ会」の必然性を感じないので違和感ばかり等々と素直な気持も書き連ねたのは、相も変らぬ反抗的な関谷の健在を表したわけで、秋山先生もいつものように「笑って許して」くれているはずだ。