オリンピック  山縣亮太  柔道・井上監督  篠原信一(マツコデラックス)  田嶋陽子

オリンピックを話題にしようとすると、もう1人の自分が「オマエが言うな!」と自分ツッコミが入りそう。
今朝目覚めてテレビを見たら男子400メートル・リレーで銀メダルを獲ったという場面が映っていてビックリした。
銅ならともかく、まさか銀とは! アメリカに勝ったということだから意外過ぎてスゴイ!!!
ケンブリッジ飛鳥が称賛されがちのようだけど、ボクはスターターの山縣亮太選手がお気に入り。
というのも短距離ランナー(選手になったことないけど)であり、スタートの得意だったボクはスターターの山縣選手の反射神経の素晴らしさに注目してしまう。
小学生の時から長く走るのは大嫌いで苦手だったので、長距離ランナーは人間とも思えないほど別世界の存在だから、ジョギング・ランナーを見るたびにバカじゃないかと思う。

というのは前振りで、本題としては柔道なんだナ。
というのも、これも小学生の頃から6年ほど柔道の道場に通っていたからだったけど、中学では部活はしていない。
ケイコという女と同じく(?)稽古は好きだったけど、試合に出るのが大嫌いだったのは、長じてのちに仕事で目立つ役職に就くことから逃げる姿勢につながっているのかもしれない。
ともあれ男子柔道の井上監督が素晴らしい!
あの監督だからこそ、あれだけのメダルを獲得できたというのは否定できまい。
何よりも柔道からキッパリとJUDOに発想を切り換えて、各国の異種格闘技から美点利点を取り入れて選手を鍛えて成功したと思うけど、頭を使ったからこその成果だネ。
技をかけないと相手に有効ポイントが入るなどという、麻雀のノウテンバップ(最後にテンパっていないと支払わされる)みたいなルールは「柔道」ではないのだから、JUDOだと割り切って対策を練るしかないわけだ。
柔道だというので篠原信一がノコノコ出てきたのが一番迷惑だった。
前の監督だったというだけでなく、最近よくテレビに露出する流れもあったのだろうけど、あのグロテスクな面貌が苦手で見るに耐えないのはマツコデラックスの体躯と同様。
昭和の再来という言葉を耳にすることがあるけれど、最近のエログロも昭和初期の再来なのかな?
世間の人達はなんであのグロな存在を受け入れ・歓迎している(ように見える)のか、サッパリ分からない。
それはともかく、篠原信一は「知恵は無いけど力はあるゾ」という古事記男神並みの存在だったから、井上監督のような発想の転換も有効な対策もひねり出せなかったのも当然だった次第。
篠原のみならず、舛添が騒がれていたのを機縁に(昔たけしのTVタックルで漫才問答をしていた相手の)田嶋陽子までテレビに復活してきたのもウンザリする。
ルー大柴以上にテレビから消されたものと喜んでいたものの、舛添のお蔭で田嶋陽子がまたバカをさらけ出すようになったのは吐き気がする。
イデオロギーを鵜呑みにしてバッサリ他人を切る手口は、頭の悪い大学生が覚えたての思想用語を振り回すのと同然、上野千鶴子のダメなところを純粋培養すると田嶋陽子になる感じかな。