マルティン・ブーバー  《我と汝》  関谷一郎の小林秀雄論  「折々のことば」

愛読していた鷲田清一さんが朝日新聞に連載している「折々のことば」が、いよいよネタ切れになって最近はずっと低調なままなのは前に記したとおり。
3ケ月ほど前には(7月17日)マルティン・ブーバーが取り上げられたのは、鷲田さんならいずれやるだろうとは期待していたものの嬉しかった。
紹介された言葉自体にはあまり興味が無かったけれど、ブーバーそのものは読んで(知って)もらいたいものだ、とっても読みやすいし。
ユダヤ教に期限を持つといわれるその思想の独自さ・スゴサは、主著の「我と汝」の表題に端的に現れている。
《我ーそれ》の関係が無機的であるのに対し、《我ー汝》の関係は相手を自己と等価なものと認めた上で対等で生き生きしたものだと強調する。
あくまでも「関係」を言うのであって、対象が人間であっても「それ」化してはならないし、「汝」は動物でも物でも当てはまるという主張だったと思う(つまりはイチローの要約なのでご用心)。
ボク等が読んだのは「人間疎外」という言葉が流行った頃なので、ブーバーの思想が「疎外」から脱する方途として期待できたものだ。
ボクがブーバーを知ったのは、2人で3週間北海道テント旅行をした級友・故木邨雅文に教えられたからで、木邨には知識を始め種々導かれたものだ。
卒論で小林秀雄を取り上げた時にも、ブーバーの思想が肝心なところで役立ったのは、論のキイワードが「関係の飢渇」であることから明らかだ。
本にまとめた時の表題も『小林秀雄への試みーー〈関係〉の飢えをめぐって』にしたほどののお気に入り。
「折々のことば」では「我と汝・対話」(田口義弘訳)からの引用と記してあるが、そのままの表題で岩波文庫から850円くらいで出ているけど田口さんの訳ではない。
田口訳はみすず書房から出ている新装版で3500円ほどするから、注文するときは注意を怠りなく。
田口さんも亡くなって久しいけど、生前は饗庭孝男さん達の『季刊 現代文学』の同人としてお付き合いしていた頃があった。
饗庭さん始めフランス文学専門の書き手がほとんどだった中で、田口さんは唯一ドイツ文学の人だったので小林秀雄がらみでリルケについて質問したら、とても丁寧に答えてもらったのは忘れない。