日ハム敗戦  ディランの詞=詩

メル友の大先輩に二つの話題について説明させてもらったメールを貼り付けておきます。

日ハムの「抑えの方程式」が通用しなかったのはケガで休んでいたマーティンが本調子でなかった(前の試合は6点差だったので気楽に投げられただけ)と言えばそれまでですが、最初のランナー(死球)を出さずに済んでいれば負けなかったかもしれません。
というのはマーティンは元々ランナーを牽制するのが下手で、それを突いて盗塁を続けて3塁まで進んだソフトの福田選手と走らせた工藤監督の作戦勝ちだからです。
福田という選手は昔からイヤな(=警戒すべき)存在だと感じていましたが、今度のシリーズでは先発を外れていたので安心していたものの、肝心なところでヤラレました。
マーティンの前に8回を担当した宮西投手がうかつに勝負に出てホームランを打たれ、1点差になったのもマーティンを苦しめた原因でした。
栗山監督として「方程式」に従ったまでですが、2人の投手が思惑通りに機能しなかったという結果になりました。
個人的にはマーティンを引きずらずにロッテ戦で抑えた谷元という投手に切り換えた方が安全だと見ていましたが、監督としては方程式を変えると選手との信頼関係が薄らぐので踏み切れなかったということでしょう。

ディランは紛れもなく文学です、詩集もありますし。
ディランの詞=詩の言葉は難しいのもありますが、代表作「風に吹かれて」などのプロテスト・ソングの歌詞は分かりやすいので「文学」のイメージからズレルのでしょう。
ハルキストもその種の誤解をしているので、次はハルキだと期待したのかもしれませんが、ディランの詞ではなく詩を読めば誤解は解けるはずです。
分かりやすいハルキばかり読んでいるハルキストには、ディランの詩は理解できないでしょうが。
春樹自身はハルキストほど軽くはありませんから、ノーベル賞と無縁ではないとは思います。