ひつじ書房(続き)  亀井秀雄  山田夏樹  千田洋幸  バフチン  矢口貴大  望月哲男

『文学研究から現代日本の批評を考える』には贈呈してくれた柳瀬善治・山田夏樹両氏以外にも優れた筆者がたくさん論考を寄せていて、名前だけ見ているとワクワクするものの、残念ながら論文名の半分はサブカルチャーの話題なので取っ付きにくい。
冒頭の中村三春さんのは宮崎駿にも言及しているらしいので読めないこともないけれど、ナッキー君(山田夏樹)の論はガンダムものなので先般送られた石森章太郎論ともども、まずは論の対象である漫画の方を読まなければならないので困る(安吾研の将棋論特集で刺激をもらった近藤周吾氏の「おおかみこどもの雨と雪」論も同様)。
しかし同じ安吾研究の際に種々ご教示いただいた小谷瑛輔氏の論は柄谷行人と故・亀井秀雄さんの主著を比較しているようで、読むのが楽しみ(ちなみに亀井さんは前橋高校の大先輩であり、桐原書店の教科書の編集委員仲間)。
元同僚の千田洋幸さんからは在職中から直接・間接(論を通して)に無知を矯正してもらっているけれど、本書の収録論文「ゼロ年代批評とは何だったのか」からもまた新知識を得られそう。
その千田さんとは先日の学会で会えて歓談できたことは記したけど、2日目の第二企画の漱石「文学論」についていかにも研究らしい発表を聴かせてくれた服部徹也氏が、やはり亀井さんの「感性の変革」論を寄せているので、「文学論」発表同様これもいろいろ教えてもらえるようで楽しみ。
さて柳瀬論文に難渋したことは記したけれど、いつもはそれだけで脳が疲れてふだんは小説などに切り換えて読むのに、バフチンの名に惹かれて矢口貴大氏の論考を読み始めたら面白くて通読してしまった。
日本近代文学におけるバフチン受容の歴史を明快に概観したものだから、どなたにも一読を勧めたい(これを読めばバフチンが分かる!)。

ボクの場合はバフチンの第二の名著『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』の翻訳者である、川端香男里先生(当時は康成の女婿になる前で「山口」姓だったと記憶する)の授業で教えられた名前で、何やらスゴイ研究者だというインパクトはあった。
川端先生の発音が頭に残っているので、ボクのバフチンは日本人一般のように「バ」にアクセントを置かずに「チ」に置いてしまう。
数人しか受講者がいなかった授業に、後にバフチンの第一の名著『ドストエフスキー詩学』(ちくま学芸文庫)の訳者となる望月哲男と、日本近代文学研究の僚友・高橋博史がいたということを記しておきたい。
バフチンの論はドストエフスキー論としても飛びぬけて面白いので、死ぬまでには一読しておかないと勿体ない。
もう1つ、昔の昭和文学会の大会で中島敦について発表したヌッチ(奴田原諭クン)が、ボクの質問に応えつつバフチンを援用して敦を論じたいと言っていたことも思い出す。
たぶんドストエフスキー論で展開されているポリフォニー論を使って中島敦を論じるというモチーフなのだろうと受け止めたけれど、敦は多くの日本文学同様にモノローグ的だから無理だろうとその時から思っている(その気になっているヌッチには黙っていたけれど)。