古山高麗雄「プレオー8の夜明け」

発表の中身が盛りだくさんなので、先週に続いて(ボクのゼミでは珍しい)同じ作品の2週連続だった。
発表者の体調が良くないというので少々補足をしてもらってすぐに質疑応答に入り、いくつか発表者の勘違い(?)が修正された程度だが、やりとりをしているうちに次第に元気になりいつもの好調子を取り戻したのは何より。
補足は前回質問し忘れた《語り》の問題が中心で、冒頭部に露わな「〜いるんだ。」「〜来るんだ。」という語尾が想起させる《語り手》と《聴き手》の像(イメージ)で大事なところで、独特な語りのテクストに接したらこの《語り手》《聴き手》像を思い描いてから論じて欲しいものだ。
答えはいずれ発表されるであろう論文に期待してもらいたいので、ここでは記せない。
一番の不満は論文の書き方で、せっかくイイことを書きながら言葉を重ね過ぎて効果を薄めたり、論の末尾でキメながらもその後に蛇足のように「まとめ」を付してキメた印象をたるませてしまっていて惜しい。
書き方について少々アブナイ指導・助言だったかもしれないけれど、論文は書き方しだいで生き死にが決まる面もあるので敢えて指摘した。
いずれにしろこれ程の名作・作家を掘り起こした発表者のセンスと独自の切り口は貴重であり、古山高麗雄の再評価につながることを望みたい。
アメリカ軍による捕虜ものとしてすぐ連想される大岡昇平「俘虜記」を読みなおし始めたら、以前と異なりメチャ面白い。
若い頃は例の「何故(アメリカ兵を)撃たなかったのか?」という観念的な問題に囚われていたのが、もっとテクスト全体を楽しんで読む基本に立ち戻ることができた感じで、これも発表者に感謝!

@ 次回は安部公房「鉛の卵」。