第二の「日大闘争」!  安倍晋三政権と同じ体質の日大執行部  日大=帝京大の《体質》  内田アメフト部監督=麻生太郎?

あまり直近の事件には言及しないようにしているのだけれど、たった今問題の日大アメフト部の悪質タックルした選手の記者会見を聞いている。
加害選手とはいえ日大(と日大アメフト部)の上層部からの圧力に抗してメディアの前で自分の気持を発表する勇気には鼓舞されるし、とてもスッキリした経過説明と所感なので気持良く聞けている。
日大といえば全国一人数の多い大学であり、付属高校を含めてスポーツが盛んで結果も出して知られているだろうけれど、個人的には芸術学部出身の三谷幸喜(演劇)や森田芳光(映画)、そして爆笑問題の2人などを輩出した大学・学部として敬意を表している。
マイナスの印象として大きいのは、元横綱の輪島が「日大相撲部」を前面に出しつつ、白紙の答案用紙ながら試験にパスしたと自慢していたのを忘れない。
花籠部屋の親方になりながらも、借金のカタに部屋の名前を利用して大問題を起こして、角界を去らざるをえなかったあの歴史に残る大バカ横綱の輪島だ。
輪島のお蔭で、日大のスポーツ部の選手と聞くとついバカだと思ってしまい、最初に悪質タックルを見た時にも輪島並みの大バカめ! 許せん!!! と憤った次第。
その後は何と監督・コーチの指示だったと知り、やっぱり《日大の体質》は変ってないナという憤りに変ったものだ。
内田監督は大学でもナンバー2ほどの権力を奮っている《悪の権化》だそうで、だからこそ謝罪も説明もズルズルと遅れっぱなしなのだろう。
そういう状況下で、加害選手が思い切ってテレビ画面に姿をさらしながら「真相」を語ったことは、日大の歴史に残る快挙だ!
ボクの知る限りでは「第二の日大闘争」と言うべき、日大自体を救う素晴らしい行動だ(内田のお蔭で日大の学生を始めとする関係者は大迷惑をこうむっているのだから)。
若い世代は知らないだろう第一の「日大闘争」は、1968年の全国全共闘運動の一環として闘われた日大闘争で、学生たちが当時の《悪の権化》である古田某を追及して追い払った快挙だった。
日大を追われた古田某たちは、その後帝京大学に移ってそこでまた《悪行》をくり返したというのは、先日の三好行雄師の墓参の時に仲間から教えられた。
帝京大安部英その他の《悪の権化》たちが薬害エイズ事件を起こした背景には、古田某という《悪の権化》が背後で動いていたということだと知って驚いたものだ。
ずいぶん前のブログに記したとおり、帝京大教員だった堤玄太という後輩研究者が、専門の日本文学から英語(会話?)の授業担当に配置換えされ、その心労・ストレスから亡くなったという悔しい事実を忘れない。
日大もヒドかったけど、帝京大もヒドイという印象は古田某という《悪の権化》がくり返させた悪事による、というわけだった。
敬愛する池内輝雄さんが帝京大に移った後ですぐ辞めたのは、日大=帝京大の《体質》に耐えられなかったせいだという理解の仕方に、改めて賛同できる。


それにしても日大側の謝罪・説明の遅れ方は、安倍晋三麻生太郎たちの手口を思わせて怒りが増幅される。
内田監督が絶対化されている体制内で、コーチや選手が内田の気持を「忖度」して悪質プレイを敢行するというのは、追い詰められた安倍・麻生の意向を「忖度」して官僚たちが自死したりウソを吐き続けたりしている様にソックリだ。
特に逃げ腰を続ける内田監督のオトボケぶりは、麻生太郎の無知・無恥によるオトボケに重なり、ゴキブリやネズミのように毒殺したくなる。
大学執行部の悪事というとすぐに東京学芸大学在職中にボクが追及した、教員クレイ爺によるセクハラ・アカハラパワハラの追及を見逃そうとした村松泰子・大竹美登利・藤井健志などの執行部が想起されるが、権力の座に居続けると善悪の区別が付かなくなり、加害者意識がマヒして弱者に対する配慮が無くなるものだ。
安倍政権の積み重ねている悪事も、長期すぎた悪弊というのも一因に違いない。
それにしても内田監督を絶対化する体制下でイジメ抜かれた弱者・宮川クンの、堂々とした勇気ある言動が安倍政権下の「国民」を奮い立たせてもらいたいものだ。