マツコ VS ミッツ 優劣論?

麻生太郎1人だけでも十分なのに、またまた自民党から低能議員が露出して世間を騒がせている。
言わずと知れた水田水脈とかいうバカ女のことだけど、自民党内からも党のためにマイナスだと気付いたのか、自民党の中で「処理」しようと躍起らしい。
LGBTは生産性が無い」とはよくも言ったものだけど、これも長期化した安倍政権の下ならばこその傲慢な差別的な性認識。
世間が取り上げている問題はスルーさせてもらう方針なのだけれど、LGBT(このアルファベットの順番がなかなか覚えられない)にからんだ所感をチョッとだけ。
偶然なのか時流に即そうとしたのか、このところ朝日新聞でもこれに関係した記事が目立つように思う。
2週間ほど前だったかはミッツ・マングローブが取り上げられていたけれど、内容は忘れてしまった(記事も切り抜いてないし)。
ボクがマツコ・デラックスに覚えるチョーが付く嫌悪感を表明していた頃、ミッツの方がもっと気持ち悪いという意見を聞いたのを覚えている。
確かに2人とも見るに耐えない醜悪さでは共通するものの、ミッツの方が嫌だという感じ方もあるというのはそれなりに理解できた。
ボクの場合は、テレビ画面ににマツコが現れるとすぐにチャンネルを変えるのだけれど、ミッツが出ても姿を見ないようにしながら聞いていられる。
TOKYO MXの「5時に夢中」でマツコの出る月曜は絶対見ないものの(若林といったかな、もう1人のレギュラーも坊主頭の中学生のガキがカツラをかぶっているようで見た目からして汚い)、ミッツが出る金曜は見ていられるのはマツコには欠落している自照性があるからだと思っている。
今日も声優の木村匡生から声を褒められたミッツが、「私の声でオナニーしたいと言う人がいるけど、姿は見せるナ! と言われるの。」と応えていたのは笑えた。
リリー・フランキーのお好みである、ミッツ等の3人の「オカマ」の歌は聴いていられないけど、確かにミッツの声だけ取れば聴けるものだとは思う(マツコの声は醜い)。
声はともあれ、ふだんから「オカマ」を自称するミッツの自己相対化はすがすがしい(見た目はキモイけど、それを自覚しているのをアピールする姿勢がマツコを超えているのだろう)。
今日は番組の宣伝文句作りを競うという企画で、「スタッフに生産性のないミッツも加えて」とか何とかいう言葉で、水田水脈の差別発言を批判的に取り込んで切れ味を見せていたので感心したナ。
この批評性・自称性・自己相対化がマツコ・デラックスには感じられないのかな、理屈以前にマツコには反吐が出る思いだけど。
それらの欠落の結果としてマツコは押しつけがましいく感じるのだろうネ、ミッツは押さずに引いている印象だからマツコよりは好ましいのじゃないかナ?


押しつけがましさに対する嫌悪感については以前記したと思うけれど、マツコかミッツかという究極の選択の別れ道はそこなのかな?
例えば朝日新聞(8月6日)の「ひと」の欄に、意外にも勝間和代が出ていたので何事かと思ったら、これがLGBTがらみなので驚いた(やはり朝日は自覚的にLGBTを追ってるナ)。
49歳の勝間が40歳の女性とのレズビアン交際を公表したという記事なんだけど、過去に2度の結婚・離婚をくり返したのもLGBT問題が根底にあったとのこと。
あれほど押せ押せの女性でも、己れの本性で生きることができるまでには、他人には言えない苦しみを積み重ねていたのだネ、同情!!!
勝間は香山リカさんと(間接的に)対立する局面があったのを覚えているけど、ボクは断然香山さんの意見に賛成したナ。
香山さんが言うのは、勝間スタイルで押せ押せで対応していたら、カウンセラーは務まらないという大事なこと。
カウンセラーはクライアント(患者)の話を聴くことが根本なので、勝間のような性格には絶対に務まらない(症状が悪くなるばかり)。
同じカヤマでも加山雄三も絶対にカウンセラーにはなれないのは、押しつけがましい性格のためだ。


続けて人間のみならず、昨日又吉直樹の番組「ヘウレーカ!」(Eテレ)が取り上げていた、性別を決めるDNTにおけるYとX遺伝子の問題にからめてLGBT問題を記そうと思ったけど、長くなって疲れてしまったので終る、疲れた。