太宰治「女生徒」

公房ファンの古平クンが太宰とは意外、でも「女生徒」なら小説作法として得る所が大かも。
ボクの昔の論(『シドク 漱石から太宰まで』所収)でもジョイスの「意識の流れ」を意識した可能性を指摘したけれど、太宰は「ユリシーズ」を読んでなくても耳学問で「意識の流れ」を念頭に「女生徒」を書いたかもしれない、ちょうど横光利一がいきなり「機械」を書いて「ユリシーズ」を翻訳していた伊藤整を驚かせてしまったように。
2人共に方法・技法を意識的にではなく実現してしまう、優れた作家のなせるワザと言って良かろう。
古平発表はいずれは結婚しなければならない不安・懊悩を読み取って議論を呼んだ。
初参加の女性(徒)である宇高さんを交えた盛んな議論を楽しませてもらったけれど、もう1点キン子との「エス」関係を読み込んだ点も面白かった。
古平クンはほぼ同時期に川端康成「乙女の港」が発表されていることも傍証に上げていたけれど、初めて聞く作品名であるし「エス」関係に疎い身としては刺激的な議論だった。
春学期の受講者で田村俊子研究をしていた馬さんがいないのが惜しまれた。
論点は尽くされた作品だと思い、あまり期待せずにいたので面白い議論から種々学ばせてもらった。