【読む】『シドクⅡ』の書評について、皆さんの感想

 滝口明祥さんが『昭和文学研究』に書いてくれた『太宰・安吾に檀・三島』についての書評については既に記したけど、学会員でない人を中心にコピーを送りながらボクの近況を付して送ったのだネ。その手紙の書き方が例によってイチロー特有のヒネリが効きすぎていたようで、滝口さんを絶賛したつもりが逆に受け止めてしまった人がいて(多くは年配の方)、チョッとヒネリ過ぎたかナとハンセイしきり。おおむね好意的な書評だという感想を寄せてくれてはいるけれど、誤解されても仕方ないヒネリ方だったかも。以下に引用してみるけど、どうかね?

(これを機に、ご無沙汰してる人から近況を寄せてもらいたいものだネ。)

 

タイヘンな世の中になっていますが、お元気なこととお察しします。

 勝手ながら近況報告を付しつつ、拙著『太宰・安吾に檀・三島 シドクⅡ』に対するミゴトな書評を同封させていただきます。筆者の滝口明祥さんは大東文化大学の教員で、新曜社から井伏鱒二論を刊行した若手です。一度だけ大東大で挨拶しただけですが、ありがたいことに『シドク 漱石から太宰まで』の頃からの読者のようで、今度の書評では完膚なきまでに関谷のノーテンキぶりを明かしつつ、再起不能にしてしまいました。

 研究のおける《主観性》の問題に注目してくれたのは嬉しいかぎりですが、「研究者の自己閉塞」を破って「一般読者」へ開かれた研究を目指した関谷の夢を、リアルな見地から完全に粉砕してしまいました。言われてみればその通りなのですが、刊行直後にいただいた感想の中には、文学研究者以外にも「届いた」手応えを覚えたものながら、それはむしろ例外でしかなかったようです。《テクストの細部》にこだわって読み込む関谷の姿勢などもはや時代遅れ以外のものでなく(?)、滝口さんも言うように研究者にも「届きにくい」ものでしかなかったようです。

 

 それでも「夢破れて山河」ならぬ海のある関谷としては、釣り部の仲間と2ケ月に1度の釣行に生きる道を見出し、月に1度のゼミ部ともども充実したジンセイを送っています。ゼミ部は関係した5つほどの大学の院修了生の集まりで、学大後任者のヒッキ―先生(立教大院時代のティーチング・アシスタントだった疋田雅昭さん)のお蔭でオンラインも併用して地方の卒業生の参加を促し、現役の学部生も歓迎しつつ継続しています。部活のみならず、卒業生向けの「関谷ゼミブログ」も毎日更新を心がけ、メールのやり取りを含めて卒業生が孤立しないように気を配っているつもりです。滝口さんに『シドクⅡ』をメッタ切りされた泣き言も、ブログに長々と書いたばかりです。

 部活以外では、コロナ禍で日々の買い物に出かけるほか、月に1度の病院通いで血圧とぜん息の薬をもらいに行くだけの毎日です。ワクチン接種は2度とも全く副反応は無かったので、身体は健康そのもののようです。飲酒は「酒とオンナは一日おきに限る」(イチロー語録)を律儀に実践しています。

 コロナ禍が「収束」(麻生太郎)した後、新たな生活を迎えられるよう共に耐え忍びましょう。余裕があれば簡単にでも近況をお報せ下さい

 

二〇二一年九月