昼間ボッチが名古屋大学院で女性教員からアカハラを受けた話や、学大の村松泰子学長時代にセクハラ・パワハラ教員を放置した話を記したけど、その学大の恥部の続きネ。
管理職としては無能な村松学長を3人羽織の形で支えた2人の副学長だった野口裕二さんと藤井健志が、想定以上に別人格だったことがつい最近判った気がしたネ。
だいたい人格者の学長であっても、その副学長などの取り巻きが単なる権力欲の権化(ごんげ)やカネ目当てで学長の足を引っ張るだけというパターンは、ワッシー(鷲山恭彦)学長時代の渡邊健治のように1期で辞めさせられた嫌われ者が好例だろう。
学内政治といえども、権力には以前記した上野和彦のような政治ゴロ(ツキ)が寄り付いて執行部を腐らせるものだ。
そうした中にあって野口裕二さんは悪人のオーラが出ていないのを感じていた点では、昔の田中喜美さん(副学長)を想起させた。
田中さんは誠意をもって前向きに副学長の立場で励んでいたけれど、体調を崩して(脳出血だったか?)残念ながら1期で退いてしまった。
田中さんと違って言葉を交わしたこともなかった野口さんのことを意識することもなかったけれど、学内でワッシーと立ち話をしているのを見かけた時には、副学長の立場の悩みを真剣になってワッシーに相談しているのだナ(ボクが告発した教員のセクハラ問題だったかも?)、と思ったことがある。
確か野口さんも1期で退いたと記憶するが、ダメ学長(村松泰子)や欲で腐った執行部の連中とは付き合いきれなくなったのかもしれない。
野口さんの潔さはを見ると、教授会で毎回数十分発言して執行部批判をしながらも、わずか1票の支持を元に副学長に抜擢された途端に権力的言動に徹した(ブル転した)藤井健志とは正反対の人格だネ(ブルはブルジョアの、転は転落の略ネ)。
その野口さんの著書を本屋で見かけ、巻頭論文を読んでいたらむやみと心惹かれたので買って帰ったヨ(税別2400円也)。
昨年暮れに出たばかりの『ナラティブと共同性』(青土社)という本の第一章「言葉による癒し」という論文。
そもそも野口さんの専門を知らなかったけど、臨床社会学・医療社会学なんだそうだ。
社会学には縁がないけど、臨床やら医療などと聞くと、長年精神的に強くない学生・卒業生との付き合いを続けているボクの関心に重なってくるのだネ。
巻頭論文にもその手の言及があったので惹かれただけでなく、本や論の表題にあるナラティブや言葉は文学研究のボクの興味と完全に一致しているからネ。
青土社の本だからどこの本屋にも置いてあるだろうから、立ち読みして惹かれたらゲットするといいヨ。
目次を見れば分かるように、文学好きなら読みたくなる論文がたくさん収録されているから買って損はしない。
むかし学大の同僚だった山田昌宏さんも社会学専攻だけれど、ベストセラーを出すほどの人で学生から勧められて『家族というリスク』(勁草書房)などを買ってあるのを思い出し、法政大院の授業が終わったヒマにまかせて越境気味の読書に浸ってみよう。