【『太宰・安吾に檀・三島』より】三島由紀夫「近代能楽集」論  岡本靖正「近代能楽集」論  カーモード『終りの意識』

 当初は三島論は入れない予定で、書名も『太宰・安吾檀一雄』のはずだったのだけど、既にアップした「金閣寺」論をはじめ三島との縁も深いので3本収録して署名も変更した次第。この「近代能楽集」は書中もっとも長い論だけれど、20代前半で始発した「金閣寺」論から退職後にまとめた「近代能楽集」論で締めた感じもあって、収めることにした。極めて著名な作品ながら、これといった論文がなかったので、今後の批評・研究に寄与するものと自負している。出版記念会の帰途、電車内で読み始めたら降車駅に着くまで読みふけったという嬉しい感想をはじめ、「近代能楽集」全体を論じている他の無内容な書に比べると雲泥の差を感じたという研究者のありがたい評もいただいている。

 最近のことながら元学大学長の岡本靖正さん(英文学研究者)の「近代能楽集」論を見つけ(『文芸批評の方法』昭和51・10、至文堂)、未知のフランク・カーモードの理論を援用した論に強く刺激された。歴代の学長ではワッシーやデグチャンほど親しくはなかったけれど、英語科と国語科の距離の近さでお付き合いいただいた方だ。拙著をお送りしたらカーモードの『終りの意識 虚構理論の研究』(国文社)を送っていただいたので、読み始めたところ。新しい理論にばかりすがり付こうとする傾向が続いているけれど、見逃された素晴らしい理論にも目配りを怠らないように願うばかり。

 岡本論を読んでいたら、完読していなかったアウエルバッハ「ミメーシス」を再読したくなったヨ、これもありがたい収穫。「ミメーシス」はメチャ面白いヨ、おススメ!

 

 「近代能楽集」の諸相

 

《ミシマはやはり小説よりも戯曲だ》と評価している者の一人として、三島テクストの在り方が凝縮して現れている「近代能楽集」で、一様ではないその種々相を一作ずつ読みとってみたい。

なお「近代能楽集」を論じる者の多くが、三島の自作解説等に言及しつつこれに乗って論を展開しているが、それは三島が嫌った私小説に対する研究の常套手段に堕すものと考える。〈作家〉を主題化することによってテクスト自体の可能性を殺ぐ結果になってしまった論は、事実を再現したような私小説と同然で読むに耐えない。当の作家が思いも及ばなかったテクストの面白さ、深さと広さを《読む》ことによって開示することこそが目指されねばならない。

 

二項対立

 

「わが友ヒットラー」(昭43)の最後の台詞、《政治は中道を行かねばなりません》には当初から異和感を抱かされていた。三島由紀夫ともあろう者が「中道」を強調するとは何ごとか? という疑念をぬぐいがたかったのである。学部生のころ、割腹自殺(昭和四五年)の衝撃の意味を言葉にしようと焦りながら「金閣寺」(昭31)論を書いた時も(1)、作品の結句《生きようと私は思つた》もまた不可解でしかたなかった。その時は作者が差し障りのないように「小説的オチ」として「生き」る方向付けをしたもの、という理解で当座をしのいだ。三島由紀夫ならヒットラー讃歌で幕を閉じてしかるべきであろうし、(モデルの事実に反してでも)主人公を金閣寺の炎の中で死なせるのが妥当であろう、というファン心理の勝手な想定から発する不満に近い。遠い記憶を持ち出せば、蜷川幸雄が三島作品を演出した際にエリック・サティ(たぶん著名な「ジムノペディ3番」だった)を使ったら、コアな三島ファンから《ミシマ演劇なら当然ワーグナーでしょう》という抗議を受けたというように、頑迷なファンの抱くイメージは動かしがたいものである。

 こうした疑念や不満は、三島自身の次の言葉が消化できれば解消されるはずであった。

 

セルヴァンテスは、ドン・キホーテではなかつた。         (「小説家の休暇(2)」昭30)

 

 主人公と作家の同一化は、創造と享受の両面において日本文学の目立った伝統であり、その典型として私小説があるのは言うまでもない。アフォリズムに満ちた三島テクストの中から、飛びぬけて切れ味の好いこのフレーズをエピグラフに選び出した磯田光一は、三島の在り方を《ドン・キホーテサンチョ・パンサとを同時に描かねばならなかったセルヴァンテス》だと説いている。すなわち「愚直な節操をもった殉教者」ドン・キホーテと、「それを嘲笑する傍観者」サンチョ・パンサの双方を自己の内に共存させていた作家の特異性、あるいは日本の伝統に抗する「文学の新しさ」ということであろう。作家の言葉に依りながら、当の作家の本質を射抜いた磯田の理解は、三島由紀夫研究史でもひときわ輝いている。

 しかしこの大局的な捉え方によって、三島作品のそれぞれの様相が見えてくるわけではない。三島文学を二項対立で捉えるのはきわめて有効と言えるが、「殉教者」対「傍観者」の対比だけでおのおののテクストが分析できるものでもない。「殉教者・傍観者」の対照は作品によってそれぞれ別の言葉で置き換えられねばならないし、二項対立という用語を強引な手付きでテクストに当てはめても説得力を減ずるだけである。何よりもまずテクスト自体が読めなければ、批評も文学研究も不可能だと知るべきである。

 

 二項対立というとすぐに「弁証法」を口にするアナクロニズムから脱せられない向きもあるやもしれぬが、三島テクストは対立項が新たな「第三項」に向かって「止揚」されていくという在り方は示さない。対立はどちらか一方が他方に対して優位性を獲得することによって解消されるケースが多く、でなければ最初から二つの項が顕在化されず、「憂国」(昭36)のようにひたすら一つの価値観が対立項を持たぬまま造型されるということになる。「近代能楽集」のほとんどは対立が解消されるパターンで三島テクストの典型であろうが、「班女」と「葵上」は他の作品群とはベクトルが逆向きだと考えられる。(3)

 作品名と若年時の疑義を呈したままなので、「わが友ヒットラー」と「金閣寺」について現時点の理解を付しておかねばなるまい。前者は緊迫し錯綜した二者択一を強いられたヒットラーが、苦渋の果てに両極を殲滅するという冷酷な「中道」を選択して閉じられる。「中道」など生ぬるいと早合点した未熟者には、「政治」の冷酷さが理解できなかったしだいであった。後者は種々の二項対立を提示しながら、金閣寺という「美」と心中することですべての対立の解消を図ったものと見える。しかし心中が未遂に終ると、〈死〉から〈生〉へと優位性が急に反転するところが、未熟な自分には解りにくかったということであろうか。

 

「弱法師」

 

 以下アットランダムな順で「近代能楽集」各篇の分析を進めていくが、戯曲を論じる際に伴う舞台や演出の問題は排除して、一つ一つのテクストを《読む》ことに専念する(4)。また原典の謡曲との相関性も、三島戯曲について専門的な見地から傾聴すべき知見を提示している堂本正樹氏などの先行論に譲りたい。三島の得意とした原典からの飛翔のあざとさ自体に本論の興味はないからである。

まずは腕試しとして、ほとんど先行する研究論文のない「弱法師」(昭35)から。

 堂本氏は『劇人三島由紀夫』(一九九四年)で「この世のをはり」の光景に陶酔して語る俊徳の言と、《(やさしく)いいえ、本当に見ないわ。見たのは夕映えだけ。》と完全に否定する級子のやり取りを次のように論じている。

 

ここからの静かな、閑浄な対決は、男と女という、永遠の対立者の対立として見事に彫琢されている。

  男の見る夢。女の立つ現実。……男の魂哲学への憧れと、女の日常生活への絶対の自信。

 

 卓越した把握でその後の論者も追随しているが、男と女という二項の対照は自体が本作で前景化されているわけではない。男女の関係が堂本論の言う「夢」と「現実」の対立として形象化されているのは、「弱法師」以外には「綾の鼓」や「卒塔婆小町」だけである。「熊野」や「道成寺」の場合は、明らかに男女の立脚地が逆転していて堂本論に反する。また堂本氏の理解ではないものの、俊徳の級子との間に男女の葛藤を読む向きもあるが(5)、後述するように無理がある。「弱法師」から読み取れるのは、男女の差異を超えた夢(非現実)と現実との対決であり、夢から解放されることによる現実への回帰という物語である。

 ところで俊徳自身は「夢」という言葉を発していないが、「奇蹟」という言い方なら一度だけしている。

 

……いいですか。あなた方の目はただかういふものを見るためについてゐる。あなた方の目はいはば義務なんです。僕が見ろと要求したものを見るやうに義務づけられてゐるんです。そのときはじめてあなた方の目は、僕の目の代用をする気高い器官になるわけです。たとへば僕が青空のまん中に大きな金色の象が練り歩いてゐるのを見ようとする。さうしたら即座にあなた方は、それを見なくてはならないんです。(略)……さういふ奇蹟を、どんな奇蹟でも、あなた方の目は立ちどころに見なくてはならない。見えないのなら潰れてしまふがいい。……ところで、僕の体の中心から四方へ放射してゐる光りが見えますね。

 

俊徳の身体から光りが放射したらそれこそ「奇蹟」に違いなかろうが、二組の親たちは(言葉の上だけでも)それを信じるように強いられる。俊徳自身が「見ようとする」のは、くどいほどくり返す「この世のをはり」である。俊徳が戦火を「この世のをはり」だと言いはるのは、《五つのとき、戦争の最後の年、僕の目を炎で灼いたその最後の炎までも見た》からである。戦火で失明して「光り」を失って以来、俊徳は「現実」の世界を拒絶して自分だけの世界に閉じこもり続けている。失明の悲劇的瞬間を自己劇化して、それを自身の拠り所(アイデンティティ)にして他者を寄せ付けようとしない。俊徳を自分の子供として確保したがる二組の親たちの弱みに付け込み、盲目という特権を利用して親たちを己が言うままに支配してみせる。スネて我がまま放題の俊徳が語る「奇蹟」を信じるフリをすることによって、彼をスポイルしてしまう親たちとは正反対に、「 奇蹟」も「この世のをはり」も真っ向から否定してみせるのが、調停委員の桜間級子である。イエスマンになりきった親たちに対しては絶対者でいられる俊徳の言葉を、級子はそのつど否定する。

 

俊徳 (略)……ひどく暑いな。まるで炉の中にゐるやうだ。僕のまはりに火が燃えさかつてゐる。火が輪踊りをしてゐる。さうでせう、桜間さん。

級子 (微笑して)いいえ、今は夏だからですよ。それにあなたは、そんなにきちんと紳士らしい服を召していらつしやるから。

 

 俊徳が特権化された〈過去〉の時間に閉塞しているのに対し、級子は〈現在〉のありのままの世界を提示して〈合理的〉な説明を加えているわけである。その後も級子は俊徳の〈非合理的〉な在り方や言葉に対してきっぱりと「いいえ」を発し続け、否定の人たる位置を守り通す。俊徳が〈夢・奇蹟・過去・非合理〉の世界を破って〈現実・現在・合理〉の世界を承認しつつ回帰して行くのは、否定の人であった級子が肯定の人に転じた時である。

 

俊徳 あつちへ行けと言つたらう。けがらはしい!

級子 いいえ。

俊徳 けがらはしいと言つたのがきこえないのか。

級子 でも私はここにゐますよ。

俊徳 なぜ。

級子 ……あなたが、少し、好きになつたから。

俊徳 (――間)君は僕から奪はうとしてゐるんだね。この世のをはりの景色を。

級子 さうですわ。それが私の役目です。

俊徳 それがなくては僕が生きて行けない。それを承知で奪はうとするんだね。

級子 ええ。

俊徳 死んでもいいんだね、僕が。

級子 (微笑する)あなたはもう死んでゐたんです。

俊徳 君はいやな女だ。本当にいやな女だ。

級子 それでも私はここにゐますよ。私を行かせるには、……さう、教へてあげるわ。何かつまらない、この世のをはりや焔の海とは何の関係もない、ちつぽけな頼み事をして下さればいいんだわ。

 

 肯定の人に転じた級子の面目は、「さうですわ」「ええ」という同意の言葉に端的に現れている。「あなたが、少し、好きになつたから。」という発言は、ことのほか重要と思われる。俊徳のレゾン・デトル(存在する根拠)であった「この世のをはりの景色」を否定したままなら、俊徳を救うことは決してできないはずである。「好きになつた」という真意のこもった言葉で他者から素直に受け容れられたからこそ、俊徳は自己を開くことができたわけである。別言すれば〈過去〉の特権的な時間に閉じて「死」んだままの状態から解き放たれ、〈現実〉の世界に〈生〉きることができるようになったのである。級子は「この世のをはりや焔の海」を忘れて〈日常〉的な「ちつぽけな頼み事」をするように仕向けて、〈非日常〉的世界を脱しつつある俊徳の背中を押す。この〈日常〉的な行為こそ、実は俊徳が恐れていたものである。

 

他人の日常生活をとやかく言ふには当らない。ただ不幸なことに、目あきには自分の日常生活の絵がまざまざと見え、僕には倖せにもそれが見えないだけ。見えないはうがましですね。それは怖ろしい顔をしてゐるに決つてゐるから。……僕は平気だ、庭の草花に水をやつたり、芝刈り機を動かしたりすることも。怖ろしいことを見ずにやれる! だつて、もう終つてしまつた世界に花が咲きだすのは怖ろしいことぢやないか。もう終つてしまつた世界の土に水を灌ぐのは!

 

 過去において「終つてしまつた世界」に花が咲くのが「怖ろしい」というのは、世界が〈生〉き返ることで俊徳の存在を根源から動揺させ否定することになるからである。親たちに向かって俊徳が、《ただあなた方はその恐怖を意識してゐない。屍のやうに生きてゐる。》と言うのは、俊徳からすれば「日常生活」につかりきっている者こそ、レゾン・デトル(存在理由)を欠いているので「死」んだように見えるからである。この見方を反転させたのが級子であることは、先に指摘したとおりである。

 

俊徳 やはらかい手をしてゐるんだね。もつと苦労してゐる人かと思つた。

級子 さう、私は苦労を知らないわ。あなたと比べたら。

俊徳 (誇らしき微笑)頼めばいいんだね、召使に言ふやうに。

級子 お姉さんに言ふやうに、と仰言い。

俊徳 ふふ、僕、腹が空いちやつた。

 

 まるで幼児のように見える俊徳の姿であるが、幼い頃から自己閉塞していたのであるから精神年齢は幼児のままである。それを見透かしたような級子の応対は見事というほかない。これを《俊徳がこの世の法則に合わせているにすぎない》などと俊徳を中心化しすぎる三島論者は、自らが単純なドン・キホーテであることをさらしている(6)。セルヴァンテスはドン・キホーテではなかった、という三島自身の言葉を反芻すべきであろう。「お姉さん」という言い方で明快なように、二人に男女としての意識を読むにも当たらない。俊徳を解きほぐすという「役目」を意識しつつ余裕をもって接している級子が、俊徳に「ほのかな好意さえ抱く」などと読んでいる姿は、風車に激突するドン・キホーテさながらである。

〈非日常〉の側が完全に〈日常〉によって敗れた形ではあるが、勝者と敗者の劇的な対照が前景化されているわけではない。俊徳が〈非日常〉化することで己れを特権化していた夕陽の代りに、級子が「日常生活」の一コマのように電灯をつける。そこには日常の中に相対化された、かつての絶対者・俊徳の小さく自足した姿が残される。盲目でありながらも一方的に見る(支配する)立場であった俊徳が、「一人ぽつねんと」している姿を見られる(相対化される)だけである。しかし孤独ではない。幼い心のままに、自分が「誰からも愛される」と信じて足りているからである。

 

     「綾の鼓」

 

 次もあまり先行研究の見当たらない「綾の鼓」(昭26)。

 そもそもテクストそのものが露骨に二項対立を表示しているので、基本的構造は理解しやすい。下手は「善意の部屋。真実の部屋。」であり、上手は「悪意の部屋。虚偽の部屋。」とこの上なく明確に対照されている。それぞれの部屋の登場人物たちはこの区分けからはずれる言動をなすことはないが、ヒロインの華子だけは微妙な立ち位置にいる。「悪意」の人々が「善意」の岩吉を図らずも死に追いやるものの、華子がそれに積極的に加担するそぶりを示しているわけではない。その関わり方が微妙なのである。華子は第一場(昼間の場面)において終始無言を通しているので、その心中が測りがたい。それでも戸山の台詞「でも人を苦しめるのは大好きですよ、奥さんは。」に注目すれば、本人の意図はともあれ結果的に「人を苦しめる」ことが少なくないようである。

 鳴らない鼓で岩吉をからかう際にも「(華子、微笑してうなづく)」というト書きのとおりで、反対せずに「(窓ぎはへみちびかれる)」まま姿を岩吉にさらしている。からかわれていることに気付いた岩吉を見て、「(――上手の窓の人たち一せいに笑ふ)」とあるが、ここに華子が含まれているのか否かがもっとも微妙である。「あんた方は笑ひながら死ぬだらう」という岩吉の恨み言から察せられるのは、華子が上手の他の人たちと異なった態度や表情を示したわけではないということである。しかし岩吉の投身自殺を知った第一場末尾では、

 

(――一同声をあげて席を立ち右往左往する。あるひは窓をあけ、あるひは階下へ走り去る。華子一人中央に凝然と立つてゐる)

 

 と、他の「悪意」の人々とは明らかに差異化されている。

 第二場(深夜の場面)における岩吉の亡霊とのやり取りで、やっと華子自身の弁明が語られる。

 

亡霊 あんたは幽霊までもたぶらかさうといふおつもりか。

華子 どうしてあたくしにそんな力があるでせう。あたくしの力は可哀想なお年寄を一人殺しただけです。それもあたくし がほんのわづかうなづいたから起つたことですの。自分で手を下したわけぢやありません。

 

 岩吉を殺したことになったのは、あくまでも結果論だというのが華子の言い分である。華子の言わんとするところは、右の台詞の前後から読み取ることができる。

 

華子 あなたに招かれてやつて来ました。でもあなたはまだあたくしを御存じない。あたくしがどうしてここへやつて来られたかご存じない。……

亡霊 儂が引寄せたからだ。

華子 いいえ、人の力を借りなくては、人のとほるドアはあきません。

  (略)

亡霊 ああ、星がいつぱいだ。月はみえない。月は泥だらけになつて地面へ落ちてしまつた。儂は月のあとを追つて身を投げたんだ。いはば儂は月と心中したんだ。

華子 (街路を見下ろして)どこかに月の亡骸がみえて? そんなものは見えはしないわ。真夜中の流しの自動車が走つてゐるだけだわ。

 

 華子を月に生えると言われる桂の木に譬えるほどロマンチックに理想化した岩吉は、死後もその夢想から覚めていない。いかに美化されようが、しょせんは神ならぬ人間でしかない華子は、鍵と人力によってドアを通るほかない。あまりに華子を神格化(絶対化)してしまった岩吉は、華子が一人の人間にすぎないことが見えなくなっている。「あなたはまだあたくしを御存じない」という台詞は、死んでも夢想の世界に閉じこもったままの岩吉の思い違いを突いているのである。自分は月と心中したのだと言うほど呆けている岩吉の亡霊に対し、「そんなもの見えはしない」と断言しつつ車の走る〈現実〉の世界を見せようとする。

 

亡霊 だが儂はもう幻ぢやない。生きてゐるあひだ、儂は幻だつた。今では儂の夢みたものだけが残つてゐる。儂を失望させることはもう誰にもできない。

華子 でもお見うけしたところ、あなたはまだ恋の化身とは云へませんわ。(略)今の世の中で本当の恋を証拠立てるには、きつと足りないんだわ、そのために死んだだけでは。

亡霊 あなたは幽霊に証拠を求める気か。(ポケットをはたきながら)ごらん、幽霊は一文なしだ。儂は証拠といふ財産をなくしてしまつた。

華子 あたくしは証拠だらけだわ。女の中には恋の証拠がいつぱいあるのよ、その証拠を出したら最後、恋でなくなるやうな証拠がいつぱい。でも女が証拠をもつてゐるおかげで、男の人は手ぶらで恋をすることができるのよ。

 

 堂本論の言う、男のみる「夢」と女が生きている〈現実〉とが、根本から食い違って対照されている場面である。華子の言わんとするのは、「今の世の中」では岩吉の考える「本当の恋」など成立しえないということ、それは死によってさえも証明しえないということである。華子から見れば、岩吉は「夢」の中に閉じこもることで「失望」することから免れ、自分を守っているだけである。「夢」の世界に自己閉塞している岩吉は、「世の中」(現実)を見ようとしていない。したがって岩吉は「本当の」(現実の)華子から目をそむけ、彼女が「真心のない男たち」に鍛えられ、刺青をしたスリに仕立て上げられていたという過去を認めようとしない。「本当の」華子を受け容れてしまったら、彼女を美化することで担保されていた「夢」が崩壊してしまうからである。

 《わかつた、あなたは儂の執念をおそれてゐるんだ。儂に愛想尽かしをさせるやうに仕向ける気になつたにちがひない。》と見当はずれな受け止め方で納得しようとした岩吉は、華子から刺青について打明けられると幼い恨み言を浴びせる。

 

亡霊 売女め、あんたは二度まで儂をなぶりものにした。一度では足りずに、……

華子 一度では足りずに、さうだわ、……一度では足りないんだわ。あたくしたちの恋が成就するにも、わたくしたちの恋が滅びるにも。

 

 微妙で難解な台詞である。「一度では足りない」とすれば何度なのか、と問う発想自体を華子は否定しているようである。なぶられるなら一度でいいものをと恨む岩吉は、「一度」を絶対化することによって、くり返すという考え方を潔癖に拒否しているものと考えられる。男たちから望んでもいない「証拠」をくり返し強いられ・負わされてきた華子からすれば、たった「一度」の屈辱に打ちのめされて己れだけの世界に閉じようとする岩吉と自分との間には、「あたくしたちの恋」など始まりもしなければ終りもしないということであろう。とすれば、以下のやり取りも同様のすれ違いを示していると読める。

 

華子 鼓が鳴らなかつたのは、鼓のせゐぢやありません。

亡霊 儂は今でもあなたを慕つてゐる。

華子 今でも! あなたが亡くなつたのはたつた一週間前ですわ。

 

 華子に「祟らう」とするような、自分の思い込みの中に閉塞して責任は他に転嫁する岩吉の狭量さこそが、華子には受け容れがたいのである。「たつたの一週間」を壮大な時間の体験のように押し付けがましく語る、岩吉の自己中心的な思い違いが許せないのである。岩吉の考え方には他者の存在が欠落しているから、「百」という数を絶対化してそれ以上打とうとはしない。「百」という数字の完結性に合わせて諦め、勝手に自己閉塞してしまう。華子の最後の台詞《あたくしにもきこえたのに、あと一つ打ちさへすれば。》は、硬直化した岩吉の在り方を根底から批判しているのである。「百一」とは呪縛が解かれた、自由な相対世界の表象である。

 

 舞台を上手・下手の二つに区切るのは、歌舞伎「妹背山女庭訓」の一場の再現だというのは、まったく堂本氏の指摘のとおりながら、氏のテクストに臨む姿勢には賛同しかねる点もある。テクストに《矛盾、もしくは書き足りなさがある》としたり、テクスト外の三島の自作言及を引用しながら《三島にとっても矛盾を抱え込んだ幕切れ》と規定して終ると、読解そのものの放棄になりかねない。もちろん右に示した拙考が唯一の読みであるはずもないながら、テクストの挑発と誘いには可能なかぎり乗り、《読み》の楽しさを味わうべきであろう。

 テクストを読むことに徹すれば、軽視されがちな第一場にも押えておくべき場面が布置されているのに気づくはずである。華子を「でも大した美人ぢやないわ。」と見る加代子に対し、恋とは「おのれの醜さの鏡で相手を照らすもんだ。」と応じる岩吉とのやり取りに、すでに〈現実〉と「夢」との対立が提示されているのは見やすい。注目すべきは「悪意」と「虚偽」の部屋を代表しているような、金子の台詞である。

 

このぢいさんは自分一人苦しんでゐると思つてる。その己惚れが憎たらしい。われわれだつて同様に苦しいんです。ただそれを口外するかしないかの違ひですよ。

 

大体において、われわれはこのぢいさんみたいな存在を唾棄すべきものだと思ふんです。われわれはさういふ存在を許しておけないんです、本物の感情といふ奴を信じてゐる存在をね。

 

すべて問題は相対的なんです。恋愛といふやつは本物を信じない感情の建築なんです。しかるに何ぞや、あのぢいさんは不純だよ、冒瀆だよ、われわれを馬鹿にしてゐる。いい気になつてます。つけ上つてますよ。

 

 説明するまでもあるまいが、金子の考え方は第二場の華子の思いに呼応している。己れの感情を「本物」だと絶対化しつつ《自分一人苦しんでゐる》と思っている岩吉の自己完結が憎たらしいと思うのは、強度は別にしても華子に通じている。《すべて問題は相対的なんです》という断言は、絶対化(硬直化)から逸脱することができない岩吉の在り方を、根本から批判しているのを見逃すべきではない。

 

 

卒塔婆小町」 

 

さよですか。今度私の一門で舞踊劇をいたします。(紙を配る)これをどうぞ。……奥さんは百枚引受けて下さるといふお話でした。                         (「綾の鼓」)

 

 右の「百」は単純に「たくさん」という意味に止まるであろうが、岩吉の「百通」のラブレターや「百打ちをはつた」の「百」とまったく無縁とも言えない。数値が一致する以上、単なるノイズで終るわけもなく、「百」を絶対化する岩吉の心情を読み手(観客)の心中に浸透させる働きを果たしているであろう。

「百」という数の神話化を補強していると言い換えてもいいが、「綾の鼓」が「百」という数字にこだわっているのは、「卒塔婆小町」(昭27)を意識しているためだというのは断るまでもあるまい。しかし「卒塔婆小町」における「百」という数字の現れ方は、「綾の鼓」ほど単純ではなく、無理をしてまでも「百」にこだわっているようにも見える。

 

詩人 いやね、今僕は妙なことを考へた。もし今、僕があなたとお別れしても、百年……さう、おそらく百年とはたたないうちに、又どこかで会ふやうな気がした。

老婆 どこでお目にかかるでせう。お墓の中でせうか。多分、さうね。

詩人 いや、今僕の頭に何かひらめいた。待つて下さい。(目をつぶる、又ひらく)こことおんなじだ。こことまるきりおんなじところで、もう一度あなたにめぐり逢ふ。

老婆 ひろいお庭、ガス灯、ベンチ、恋人同志……

詩人 何もかもこことおんなじなんだ。そのとき僕もあなたも、どんな風に変つてゐるか、それはわからん。

老婆 あたくしは年をとりますまい。

詩人 年をとらないのは、僕のはうかもしれないよ。

老婆 八十年さき……さぞやひらけてゐるでせうね。

詩人 しかし変るのは人間ばつかりだらう。八十年たつても菊の花は、やつぱり菊の花だらう。

 

 二人のやり取りのうちに「百年」が「八十年」にスライドしてしまうのは不可解に見える。その直後でも幕切れ近くでも、詩人は「百年」と言い換えているのだから、右の引用箇所でも「百年」であった方がテクストとしては安定する。先に「八十年」と言うのが老婆であり、詩人は思わずそれに「八十年」と応じているだけであって、その後はもともとの自分の発想である「百年」に戻ったと見られる。とすれば老婆はなぜ「八十年」と言い換えたのであろうか。鹿鳴館の場面に転換される直前に次のような会話がある。

 

詩人 わかつたから昔の話をしてくれ。八十年、ひよつとすると九十年かな、(指で数へてみて)いや八十年前の話をしてくれ。

老婆 八十年前……私は二十だ。そのころだつたよ、参謀本部にゐた深草少将が、私のところへ通つて来たのは。

 

 詩人は老婆が美の絶頂であったと思われる、「八十年前」を語らせようとしているわけである。やがて二人は外見そのままで「八十年前」の、すなわち鹿鳴館時代の深草少将と小町の意識に転じて先のやり取りになるのであるから、深草少将になった詩人の意識の中で「百夜通ひ」の「百」が神話化されたまま「百年」につながったと思われる。「九十九歳」だという老婆の年齢も、詩人に「百」を連想させる働きをしているであろう。《奇蹟なんてこの世のなかにあるもんですか。奇蹟なんて、……第一、俗悪だわ。》と語る老婆は、全てを見通している観点から、冷静に「二十」の頃から「八十年」経った「百年後」に詩人に会ったという計算をしているわけであろう。「百」という完結感のある数を神話化して、「百」に固着したままで脱けられない詩人の姿は、そのまま「綾の鼓」の岩吉を想起させずにはおかない。

 

詩人 僕は今すぐ死んでもいい。一生のうちにそんな折は、めつたにあるものぢやないだらうから、もしあれば、今夜にきまつてゐる。

老婆 つまらないことを仰言いますな。

詩人 いや、今夜にきまつてゐる。もし今夜を他の女たちとすごしたやうに、うかうかすごしてしまつたら、ああ、考へただけでぞつとする。

老婆 人間は死ぬために生きてるのぢやございません。

詩人 誰にもそんなことはわからない、生きるために死ぬのかもしれず……

老婆 まあ、俗悪だわ! 俗悪だわ!

 

 「百夜通ひ」の深草少将になりきって〈陶酔〉している詩人の、「生きるために死ぬ」という発想は、〈自己否定による自己証明〉であって、岩吉の言動と大同小異である。老婆がそれを「俗悪」だとくり返すのは、彼女がすでに〈陶酔〉の虚妄を知り尽くしているからである。冒頭近くで老婆から「しかし寿命はもう永くない。死相が出てゐるよ。」と言われた詩人が、「(おどろかず)」に「おばあさんは前身は人相見かい。」と応じるのも、「生きるために死ぬ」ことに酔っているからである。深草少将として死ぬことになる詩人とは異なるものの、公園に集う恋人たちも老婆からすれば、「男も女も目をつぶつてゐる。そら、あいつらは死人に見えやしないかい。」ということになる。恋人たちが「退屈」そうに鶏やネクタイや終電車など、〈日常〉的なものを話題にし始めた時の姿こそ、老婆からすれば〈陶酔〉から覚めて「生き返」って見えるのである。

 

いいや、人間が生き返つた顔を、わたしは何度も見たからよく知つてゐる。ひどく退屈さうな顔をしてゐる。あれだよ、あの顔だよ、わたしの好きなのは。……昔、私の若かつた時分、何かぽうーつとすることがなければ、自分が生きてると感じなかつたもんだ。われを忘れてゐるときだけ、生きてるやうな気がしたんだ。そのうち、そのまちがひに気がついた。(略)今から考へりやあ、私は死んでゐたんだ、さういふとき。……悪い酒ほど、酔ひが早い。酔ひのなかで、甘つたるい気持のなかで、涙のなかで、私は死んでゐたんだ。……それ以来、私は酔はないことにした。これが私の長寿の秘訣さ。

 

 「生きるために死ぬ」などという「酔ひ」から免れて、〈日常性〉に復帰することこそが「生きる」ことだという価値の転倒が主張されているわけである。老婆の言うところが説得的なのは、若い頃に「悪い酒」に酔った経験を踏まえているからであろう。「若かつた時分」とは、(テクスト外の小町伝説をおいて読めば)鹿鳴館の頃ということになる。

 

(声はなはだ若し)噴水の音がきこえる、噴水はみえない。まあかうしてきいてゐると、雨がむかうをとほりすぎてゆくやうだ。

  (略)

……まあ、この庭の樹の匂ひ、暗くて、甘い澱んだ匂ひ……

 

 若返った声で独り言をつぶやいている老婆の意識は小町のもので、一時的に「酔ひ」の中にいると見てよかろう。「八十年前」を深草少将と共有した「酔ひ」の果て、少将を喪って生き残った老婆は、すでに「酔ひ」が去った後の「退屈」を知り尽くしている。最初に登場するところから早くも「酩酊」している詩人に対し、「酔はない」ことに決めていた老婆の考え方が正反対なのは当然である。死に急ぐ詩人と、長命の生を得た老婆との対比は、言うまでもなく「綾の鼓」にも通じる〈非日常〉と〈日常〉との対立に他ならない。しかし岩吉と詩人が似ているほど、華子と老婆が似ているわけではない。

 

華子 ああ、早く鳴らして頂戴。あたくしの耳は待ちこがれてゐるんです。

  亡霊 六十六、六十七、……ひよつとすると、鼓がきこえるのは、儂の耳だけなのかしらん。

  華子 (絶望して。傍白)ああ、この人もこの世の男とおんなじだ。

  亡霊 (絶望して。傍白)誰が証拠立てる、あの人の耳にきこえてゐると。 

(華子と亡霊の台詞・略)

  華子 はやくきこえるやうに! 諦めないで! はやくあたくしの耳に届くやうに! (窓から手をさしのべる)諦めないで!

  亡霊 (略)……九十八、九十九、……さやうなら、百打ちをはつた、……さやうなら。

(――亡霊、消える。鼓鳴りやむ)

(――上手の部屋に華子茫然と立つてゐる。あはただしく扉を排して戸山登場)

戸山 奥さん! ここにいらしたんですか。よかった! みんなであなたを探し回つたんです。どうしたんです。夜中に抜け出すなんて。どうしたんです。(体をゆすぶる)しつかりして下さい。

華子 (夢うつつに)あたくしにもきこえたのに、あと一つ打ちさへすれば。

                                      ――幕――

 

 二回目のやり取りが二人共に「(絶望して)」いる点に留意すべきであろう。華子が「(窓から手をさしのべ)」てまで「諦めないで!」と叫んでいる必死さは、「本当の恋」の可能性に未練を残している「証拠」であろう。だからこそ亡霊が消えてしまうと「茫然」としてしまうし、最後の台詞も「(夢うつつ)」なのである。「あと一つ打ちさへすれば」は前述のとおり岩吉に対する批判でもあるが、「絶望」しつつも「諦め」きれない華子の切実な願いでもあったわけである。

卒塔婆小町」の老婆には、華子のような秘められた願望は無いようである。

 

(詩人は息絶えて斃る。黒幕閉ざさる。老婆、ベンチに腰かけてうつむきゐる。やがて所在なげに吸殻をひろひはじむ。この動作と相前後して、巡査登場して徘徊す。屍を見つけて、かゞみ込む)

 

 現在の時空に戻って「うつむきゐる」老婆の心中は測りがたいが、深読みは禁物であろう。《典拠の小町には、結末に救済が用意されているが、翻案の老婆には救いがなく、業の継承が暗示される(7)》という見方もあるが、典拠に引きずられ過ぎた解釈と思われる。「救い」が無いというほど老婆が落ち込んでいるとも思えないし、「酔ひ」を拒絶して「長寿」を選んだ老婆は、改めて吸殻拾いをしながら次の深草少将が現れるのを待つのみである。

「おまへに色気を? 笑はせるない。」と言う巡査に向かって、「(憤然として)何がをかしいんだよ。ありがちのことですよ。」と返す老婆には小町としてのプライドがあり、鹿鳴館におけるような〈陶酔〉の記憶がある。一時的なはかない〈陶酔〉ではあろうが、充たされた思いを得ていたのは確認したとおりである。

 

道成寺

 

 「綾の鼓」と「卒塔婆小町」の類似と差異を確認したわけであるが、「弱法師」はこの二作品ではなく「道成寺」(昭32)に似ている。二項対立が二作品ほど前景化されていない点においてである。俊徳の自己閉塞が級子によって解かれるように、「道成寺」の清子の硬直した思い込みがほどけて開放(解放)されて行くストーリーだからである。相違点を上げれば、級子のような存在が明確には現れないところである。「主人」が級子の位置に相当するように見えるが、彼は〈日常性〉の側を代表するだけで清子の〈非日常性〉を解く作用をするわけではない。清子は他者からの影響とは関係なく、己れの自縄自縛を脱していくだけである。

 結論を先に述べたので後は簡略に済ませることができるように思われるものの、そうたやすくには行かない。巨大な簟笥に閉じこもってしまった清子が硫酸を浴びて醜女に変身することなく、無事に外に出てきて〈現実〉世界で生き抜こうという姿勢で立ち去って行く基本線だけ見れば、確かに俊徳の女性版と読むことができよう。しかし俊徳の思い込みに当たるものとして、清子は何を抱え込んでいるのか、なぜ簟笥の中に閉じこもろうとしたのか、なぜ硫酸を己れの顔にかけようとしたのか、と問うた時に簡単に答えが出せるわけではない。そもそも清子自身も、なぜ安が自分を捨てて十歳も年上の桜山夫人に奔ったのか、という難題を解けずに迷走しているのである。

 

清子 あの人はこの私から逃げたかつたのにちがひないわ。(二人沈黙)……ねえ、どうしてでせう。この私から、こんな可愛らしいきれいな顔から。……あの人は自分の美しさだけで、美しさといふものに飽いてゐたのかもしれないわね。

主人 贅沢なお嘆きですね。(略)

清子 でもあの人だけは私の若さと、私の美しい顔から逃げ出したんです。たつた二つの私の宝を、あの人は足蹴にかけたんです。

 

 もちろん安自身の言葉は残されていないから、実際のところは誰にも分からない。安も美しかったようではあるが、他ならぬ自分の「美しい顔」が安には重荷だったと清子は解釈してみせる。清子には己れの「美しい顔」に対する過剰な思い入れがあるのは否定すべくもなく、それが安にはプレッシャーだったという可能性も十分考えられる。いずれにしろ問題は清子の考え方である。

 

今では私のたつた一つの夢、たつた一つの空想はかうなんです。ともするとあの人は、私が二目と見られない醜い怖ろしい顔に変貌すれば、そんな私をなら愛してくれたかもしれないと。

 

不満なんて、そんな小さな言葉。私はそんな世界には住んではゐません。あの人と私とが末永く愛し合ふためには、何か一つ歯車が足りなかつたんです、その機械が滑らかに動くためには。私はその足りない歯車を見つけだしたの。その歯車こそ私の醜く変つてしまつた顔ですの。

 

 「何か一つ」足りないと言われると、「綾の鼓」の「あと一つ打ちさへすれば」が想起されるであろう。清子の少し前の台詞「……よくごらんなさい。私は老けてはゐなくて?」も「卒塔婆小町」を思わせるので、『近代能楽集』全篇を視野に置いた間テクスト性という課題も浮かび上がってはくるものの、ここでは先を急ぎたい。華子に揃えて言うわけではないものの、清子は己れの「美しさ」という完璧さに閉じている状態を打破しなければ、らちが開かないと思い込んでいるわけである。その自己完結を溶かすために硫酸を顔にかけるという考え方自体は異常ではあるが、清子のアパートの管理人が言うように《あの子は恋人が殺されて間もないし、気性のはげしい娘ですから、何をやり出すかわかりませんや》という精神状態のためであろう。

 清子の自己閉塞した考え方がほどけるのは、安が桜山夫人と一緒に殺された簟笥の中である。

 

主人 硫酸を浴びる勇気が、その瀬戸際になつてなくなつた。さうだね?

清子 いいえ。我に返つて、また小瓶の蓋をしめたの。勇気がなくなつたからではないわ。そのとき私にはわかつたの。あんな怖ろしい悲しみも、嫉妬も、怒りも、悩みも、苦しみも、それだけでは人間の顔を変へることはできないんだつて。私の顔はどうあらうと私の顔なんだつて。

主人 ごらん、自然と戦つて、勝つことなんかできやしないのだ。

清子 いいえ、負けたのぢやありません。私は自然と和解したんです。

主人 都合のいい口実ですな。

清子 和解したんです。(その手から小瓶がポロリと床に落ちる。主人あわてて、それを蹴とばす。)……今は春なのね。はじめて気がついたわ。永いこと私には季節がなかつた。あの人がこの簟笥に入つてから。(あたりの香をかぐやうに)今は春のさかりなのね。

 

 「都合のいい口実」にも聞こえるであろうが、きっかけは何にしろ清子が「我に返つ」たという自覚が大事である。醜女に変貌すれば安が戻ってくるという思い込みから吹っ切れたのである。その時初めて清子は四季のある〈外〉の世界の存在に気付く。安が柩や墓にも譬えられる箪笥に閉じこもったように、自己の〈生〉を思い込みという墓の中に閉塞させていた状態から解放されたのである。右のやり取りでキーワードになっている「自然」には、先行する会話がある。

 

清子 でも私の夢が叶へられたら……

主人 まさか彼氏が生き返りもしますまい。

清子 いいえ、生き返るかもしれませんわ。

主人 無いものねだりが高じた末に、あんたは怖ろしいことを思ひついた。あんたは自然を認めまいとしてゐるんだ。

清子 (略)その通り。私の敵。あの人と私の恋の仇は、桜山夫人ではなかつたのよ。それは、……さうだわ、自然といふもの、この私の美しい顔、私たちを受け入れてゐた森のざわめき、姿のいい松、雨のあとの潤んだ青空、……さうだわ、あるがままのものみんなが私たちの恋の敵だつたのね。それであの人は私を置いて、衣裳簟笥の中へ逃げたんだわ。あのニスで塗り込めた世界、窓のない世界、電灯のあかりしかささない世界へ。

 

 清子は死んだ安が生き返るという「夢」を、切実に信じていたからこそ箪笥の中で硫酸を浴びようとしたのである。死者が蘇るはずはないと主人が言う「自然」と、清子の言う「自然」には多少のズレがある。安と自分を取り巻いていた「あるがままの」世界が清子の「自然」であり、生きた「自然」から逃れるために安は箪笥に閉じこもったと清子は解釈しているのである。実際の安がそう思ったかどうかを問うても意味はない、そういう考えに囚われていた清子が反転して、「自然」を「受け入れ」たことが重要なのである。〈死〉の世界に閉じた安に執着することから解放されて、「自然」の世界における〈生〉を貫くことにした清子の強さである。《誰がこのさき私を傷つけることができるでせう。》という清子は強がりを言っているのではない。安のように〈死〉に閉じることを拒絶し、〈生〉を選択して「風のごとく」去って行く清子の最後の台詞は、決意と自信に満ちている。

 

でももう何が起らうと、決して私の顔を変へることはできません。

 

「熊野」

 

 「熊野」(昭34)における〈閉塞〉対〈開放〉の対照は捉えにくいかもしれない。

 

私が一旦かうと決めたことは、変へるわけには行かんのだ。

 

俺に大切なのは今といふ時間、今日といふこの日だよ。その点では遺憾ながら、人のいのちも花のいのちも同じだ。同じなら、悲しむよりも楽しむことだよ、ユヤ。

 

 右の台詞を読むと、己れの考え方に〈閉塞〉しているのは宗盛だと勘違いする向きもあるかと思われるが、彼の傍若無人な自分の貫き方には根拠があることが判明していく、という流れである。己れの「感情」に閉じているのは実はユヤの方であり、宗盛はユヤの閉じた姿勢を正していく、という展開の仕方は計算し尽くされている印象である。

 

(ユヤの顎をとつて)その悲しさうな顔を今度は、勇気を出して楽しみのはうへ向けるんだ、ユヤ。君の顔は月のやうなもので、楽しみの光りを受ければ照り、悲しみの影を受ければ翳る。自分の感情にがんじがらめになるのはよして、思ひ切つて楽しみへ身を投げるんだ。いいか。さうすれば若い君は、おふくろの病気なんか忘れてしまへる。

 

 母親が病気だという虚偽を理由にして北海道の恋人に会いに行きたがっているユヤに対し、宗盛は虚言に気付いてない振りをして「自分の感情にがんじがらめ」にならずに、「楽しみ」へ自分を開くように促している。ユヤは母親が重篤な病気で死にそうだという「悲しみ」を想定して、その中に「がんじがらめ」になっている自分を演出しているわけである。ユヤの「悲しい」表情の裏には、恋人の薫に会えるという「楽しみ」が隠されているので、宗盛に自分を「触らないでね」と言う拒絶には真実味がある。それを知らない読者(観客)の同情を引くには母親の病気だけで十分な場面ではあるが、直前には秘書からの電話に応対する宗盛の台詞が置かれている。「そりやあ御苦労だつた。」という言葉は、後になると本当は健康な母親を北海道から連れてきた報告らしいと判るのだから、再読した方が楽しめるテクストである。

 論としては種明かしめいたことを先に言ってしまったので、後は落穂拾いめいたことを付せばいいだろうか。宗盛は何度も「感情」という言葉を口にしながらユヤの〈閉塞〉を開こうとするが、ユヤは「道成寺」の清子と同じく「愛」を口にしつつ閉じている。

 

ユヤ (顔をおほつて)愛してゐたら、そんなわけはないわ。愛していらつしやらないんだわ。

宗盛 又愛なんぞといふものをそこへ持ち出す。俺は楽しみのことを言つてゐるのだ。君を連れて花見に出かける。それで俺は満足だし、楽しいんだ。

 

 「感情」にしろ「愛」にしろ、ユヤはそれに〈陶酔〉しているだけだというのが宗盛の把握であり、彼の強調する「楽しみ」が思い込みからの〈解放〉を意味するのは見やすいだろう。それにしても宗盛の徹底ぶりは常人の域を超えている。『近代能楽集』に通底するものとして指摘される、〈ニヒリズム〉を体現する一人であろう。

 

ユヤ もし母の死目に逢へなければ、後悔に苦しむのは私ですわ。

宗盛 君がどうして後悔する。何もかも俺のせゐにして、俺を怨めばすむことだ。花見に行きさへすれば、君も俺も二人ながら、あの後悔といふやつを免かれる。

朝子 あなたのはただの楽しみの後悔。 

ユヤ 私のは一生ついてまはる怖ろしい後悔。

宗盛 二つながら消えるだらう。黙つてついて来さへすれば。目をつぶり、何も考へず、黙つて俺についておいで。後悔はこの世から消えるだらう。さうして悲しんでゐる美しい女の、世に稀な花見の姿だけが、人の記憶に残るのだ。

朝子 ユヤを人形にしたあげく、あなたは今度はユヤを美しい絵の中に、塗りこめてしまふおつもりなのね。

 

 宗盛が「後悔」を「真黒な陰気な顔をした化物」として毛嫌いするのは、それが抗いようもなく自分だけの「感情」に閉塞させるからであろう。それから免れるためには、残されたチャンスが今日だけの花見に行かねばならないのであり、ユヤに「後悔」させないためには、自分が憎まれ役になっても構わないとまで余裕のあるところを示す。それほど宗盛にとっての花見は「ただの楽しみ」ではなく、「後悔」によって自己閉塞しないために大切なものである。一生ものの「後悔」として自己劇化にいそしんでいるユヤとの対照は滑稽でさえあるものの、恋人に会えなくなるユヤ本人からすれば、癒しようのない悲しみとなる。

 

 北海道で病んでいるはずの母親が連れ出されてきて急転回し、宗盛に許されたお蔭で彼のもとから去らずに済んだユヤの二人が残される。幕切れの台詞のやり取りは、唐突のようでありながらも、右のやりとりにおける宗盛の言葉で説明されている。「悲しんでゐる美しい女の、世に稀な花見の姿」がそれである。

 

ユヤ ひどい雨ね。今日はお花見ができなくて残念。

 宗盛 (自分の首に捲かれたユヤの腕を軽く解きほぐし、その手を握つたまま、女の顔をやや遠くから見つめて)いや、俺はすばらしい花見をしたよ。……俺は実にいい花見をした。

                                        ――幕――

 

 虚構の「感情」に硬直していたユヤを解きほぐすように、その腕を首から外しながらつぶやく宗盛の「すばらしい花見」は、先行する台詞を前提にしないと理解できない。「悲しみ」に囚われている美女でなければならないからこそ、噓がバレたにもかかわらず放逐されなかった喜びを抑えがたいユヤに向かって、宗盛は注文をくり返す。

 

宗盛 君は行くには及ばないよ。

ユヤ (次第に微笑をうかべる)さう。(ドアをうしろ手に閉める)……さう。

宗盛 さつきのやうに、そこのベッドに掛けておいで。(ユヤ言はれたとほりにする)さうだ。そして、さつきのやうに、悲しさうにしてゐるんだ。

  (略)

宗盛 しばらく黙つてゐないか。

ユヤ ええ。

(――間。ユヤ、上着を脱ぎ、宗盛のそばへすり寄る)

(略)

宗盛 それにしても、さつきのやうに、もつと悲しさうな顔はできないのか。

 

 母親の証言のとおり、北海道から戻ったら再び宗盛の世話になるつもりだったしたたかなユヤらしく、宗盛から許されるとすぐに切り替えてはしゃぎ出す。ユヤが脱いだ上着は冒頭のト書きに明記されているとおり「旅行服」であり、一時的であれ外の世界へ旅立とうとしていたユヤが暗示されていたものの、宗盛の手腕のままに再び彼の「絵の中に、塗りこめ」られることになる。その「絵」の構図はどうしても「悲しんでゐる」女でなければならないので、宗盛はその美意識によって明るくふるまうユヤを抑えるのである。

 テクストを振り返ると、宗盛は「悲しんでゐる美しい女の、世に稀な花見」という言葉を語る前に、すでにそうした構図の絵を満喫しているのである。

 

(涙を拭つては読み進むユヤを、宗盛は葉巻をくはへてじつと(8)見つめてゐる。朝子がやがて宗盛のこんな態度に気づいて、そのはうをキッと見る)    

朝子 どう? 宗盛さん。ユヤは泣いてゐる可愛いきれいな人形だわね。

 (略)

 宗盛 (朝子に)何を言ふんだ。(たのしげに)俺は同情して聴いてゐる。

 

 演技とはいえ、泣きながら手紙を読むユヤに「悲し」みによって強化された「美」を見出し感動している宗盛は、ユヤと同じ境遇にいる朝子の格好の攻撃対象とされるのは必然である。策略によって「悲し」みに淫した「美」ではあっても、宗盛のニヒリスティックな美意識からすれば、この上ない「すばらしい花見」だったに違いない。

 

 ここで本論の最初に断った、舞台や演出に関しては黙秘を貫くという方針を破って一休み。六本木の地下にあった自由劇場の「上海バンスキング」のみならず、つかこうへい絶頂期から事務所解散後の故・三浦洋一の一人舞台まで、そして東大教養学部の寮食堂で公演していた初期の野田秀樹などを追っていた、往年の演劇ファンの興味が掻き立てられるからである。『近代能楽集』を舞台に乗せる時には、短篇のため二つの作品が同時に演じられることが多いようである。とすれば、「道成寺」と「熊野」を同じヒロインで演出するのも一つの方法ではないかと愚考する。似た構造の作品であるために能楽集の多面性は見せられなくても、二つの作品の連動性を見せる試みにはなるであろう。言うところは、箪笥の競売に参加した「紳士」の一人をパトロンにすべく向かった清子の、落ち着いた先が宗盛だったという設定である。ヒロインを同一にすれば、説明する必要もなく二幕の作品として享受する可能性が開けるというものである。

 

「邯鄲」 

 

 「邯鄲」(昭25)も「熊野」と同じく二項対立が見えにくい作品であるが、大局的に見れば「道成寺」を含めて〈閉塞〉する女に対する〈開放〉された男、という構図として読めるであろう。対立が見えにくいのは、これまでの五作品と異なり、閉じる側の求心力が弱く映るからである。閉じる女である菊のみならず、開かれた男である次郎の側でも、閉ざされてあることの苦悩を通過しておらず、実体験の裏付けを欠いて頭の中だけで人生の無常を先取りしているだけなので、その〈開放〉された在り方も薄っぺらなものに映る。だから「僕の人生はもう終つちやつたんだ」とくり返す次郎の方こそ、夢の中の「美女」に指摘されているとおり「自分の理屈に自分で酔つてる」とも見えてしまう。俊徳を連想させる次郎の方こそ〈閉塞〉していると受け取られてしまうのも、双方の側のインパクトが欠ける要因でもある。俊徳が級子に「僕はそんな女はきらひだ。」と言うように、次郎も「僕はちつとも君を好きぢやない。」と口をそろえるが、戦火を浴びてない次郎の軽さはいかんともしがたい。そもそも「十八ぐらゐのダブルの背広姿の少年」である次郎のアンバランスは、登場した時から滑稽な感じを否めない。

以上のように大局的に見るまでもなく、〈閉塞〉する力も〈開放〉の力も共に迫力を感じさせないので、作品が訴える力も他の作品に遠く及ばないと感じられる。字面を追うだけの読者は当然にしても、菊の元夫の存在を含めて、舞台で観ても観客を動かす力が伝わってこないと察せられる。喜劇だと思って観れば別の感慨が湧くであろうが、それはまた後ほどということにする。

ともあれこの元夫も位置づけしにくいものの、その在り方は次郎の台詞から読み取れよう。

 

菊  (床をとりつゝ)うちの庭は死んでをりますんですよ。花も咲かなけりや、実も結びません。かうなつたのは、ずつと前からでございます。

次郎 ずつと前からつて、君の旦那様がここを出てつてからかい?

菊  よく御存知でございますこと。

次郎 僕は何でも知つてるのさ。でもこの話は本で読んだんぢやないんだぜ。僕ね、このごろ銀座でチャップリンの恰好をしたサンドヰッチマンと知り合ひになつたんだ。この人はね、独り者で、コーヒーを飲むことと活動を見ることとがたつた二つのたのしみなんだ。コーヒーと活動だけで十分仕合せになれる人なんだ。この人が話してくれたんだよ、その話。

  (略)

次郎 チャップリンはかう云つてたぜ、あの枕で寝てちよつと夢を見ると、何もかもみんな馬鹿らしくなつちやふんだつてさ。そのあとで奥さんの顔を見るとね、こんな女と暮してゐるのはなぜだかわからなくなるんだつてさ。それですぐ家をとび出してしまふんだつて。

 

 一杯の紅茶さえあれば他に何もいらないと断言して一人閉じこもった「地下生活者」(ドストエフスキー)と同列のような元夫は、社会的に見ればやはり〈閉塞〉した側の人間として位置づけることができよう。本人は満足していようが妻を捨てて勝手に自己完結しているだけであり、残してきた家の庭に「死」をもたらしたまま、取り残された妻を「じつとこのまま老い朽ちてゆくつもり」にさせた罪は軽くはあるまい。

 つまり元夫は菊とは別のもう一つの閉じ方をしているのであり、それまでの半生が「何もかもみんな馬鹿らしく」なって捨てたのは、その後の人生の先取りであるという点では次郎と五十歩百歩である。三人だけの登場人物ではあるものの、それぞれの位置づけが困難なゆえんである。次郎は元夫の生き方に関心は寄せるが、それを理想化(絶対化)はせずに別の道を歩もうとしている。だから夢の中の美女に向かって酒に「酔ふのはきらいだ」と言いながらも、結果的には「自分の理屈に酔つ」たまま菊と共に留まることになる。元夫をユングの言う〈実現しなかったもう一人の自分〉という意味の「自己の影」と呼んでも良かろう。菊が帰ることのない元夫の代わりに次郎と暮すのを喜んで受け容れるのも、次郎とその「影」である元夫が菊の中でも重なりやすいからである。

 

次郎 菊や、僕いろんな夢を見たよ。

菊  (不安にかられ、声をひそめて)やつぱり……

次郎 やつぱり、つて云つたつて、僕はすこしちがふんだ。人生つて思つたとほりだ。僕はちつともおどろきやしない。

菊  あなたさまももしや主人のやうに……

次郎 菊やはそのはうがいいんだらう。僕がさすらひの旅に出るはうが。

菊  ・・・・・・・・・。

次郎 おあきらめよ。旦那様のこともあきらめなさい。僕はどこへも行きやあしない。だから君も僕について来るチャンスはないし、旦那様にあへるチャンスもないんだ。

菊  さう仰言つていただくと、却つて安心したやうな、力強い気持がしてまゐりますから、変ですこと。

次郎 菊や、それがほんたうだよ。つまり菊やは生きるんだよ。

菊  お坊ちやま、それではあなたさまだけは菊を見捨てずに、ここにずつとおいで下さいますか。

次郎 ゐるとも。ここにずつとゐるよ。ゐてもいいかい。

 

 出て行った元夫の代わりのように、次郎が再現された幼時の部屋に留まることを告げた時に、菊も庭も解き放たれて生き返る。その点に限れば、次郎は紛れもなく〈解放〉の人であるに違いない。そこで幕は閉じられるので「大局的には」カタルシスを迎えるのであるが、菊と庭は〈解放〉されたものの当の次郎自身は解き放たれたのか、と問うと話は簡単ではない。菊や元夫とは異なり、枕の呪縛に囚われなかった次郎は自足しているであろうが、人生を観念的に先取りしたまま「思つたとほりだ」と決めつけている姿は、邯鄲の里の精霊が見抜いているように「生きながら死んでゐる」のと相違ないからである。

〈閉塞〉状態の菊に比べると〈解放〉されているように見えるものの、己れの思い込みの世界に閉じられている点では、「もう終つてしまつた世界に花が咲きだすのは怖ろしい」と言っていた俊徳と異なるところはない。俊徳の閉塞は級子によって解かれるものの、次郎の幼い自己完結を崩すものは提示されないままである。しかし口先(顕在意識)だけで人生を先取りしているかぎりは滑稽で済ませることができるが、人間存在をより根本的に決定づけているとされる夢(潜在意識)の中でさえも、欲望の挫折を知らぬままに欲望を切り捨てて見せる次郎の悟りは、危ういばかりで読者(観客)の不安を拭えない。夢の「美女」から「あら、慄へてる。あなたの手が、」とからかわれている次郎の手は、現実の世界に触れたことのない者のおののきが瞭然としている。他者を解放しながらも自らは閉じたまま、という不完全なカタルシスにこだわりを残す読者(観客)には、人生におけるインポテンツとしての次郎が自己防衛的に悟りを語って閉塞してしまう喜劇、という「理屈」で納得してもらうほかあるまい。外から見れば喜劇でも、当人からすれば悲劇となる普遍的なパラドックスは強調するまでもない。

 

「班女」

 

菊が次郎に向かって「待つといふことはつらいことでございますよ。」と語るので、その連想だけで次に「班女」(昭30)を取り上げたい。この作品を喜劇として読む斬新な論にも出会ったものの、(9)「邯鄲」と同列の喜劇とは思えない。もちろん一人の男を駅で待ち続ける「狂女」花子も、彼女を「擒にする」ことに夢中で常軌を逸した実子も、一度は捨てた花子を思い出して探し続ける吉雄も、一般常識からすれば喜劇的な存在ではある。しかし人間の言動はすべて見方しだいでは喜劇的であるとも言えるので、次郎を笑うようにはこの三者を笑うことはできない。次郎とは異なり、三者三様の真剣さが伝わってくるので素直には笑えない。笑えない喜劇とは言語矛盾であろう。

「悲劇」だとする傑出した論もある。

 

この劇の結末は女二人の生活再開のハッピー・エンドであるよりは、むろん、花子が吉雄を拒否する悲劇であることのほうに重点がある。幕切れの台詞である実子の「すばらしい人生!」という言葉は、ハッピー・エンドそのものに対するアイロニーであり、逆に吉雄を拒否した劇の色合いをいっそう濃くしている。                 (青海健『三島由紀夫の帰還』二〇〇〇年)

 

「ハッピー・エンドそのものに対するアイロニー」とは言い得て妙で、アイロニーに満ちた三島由紀夫作品に目立った特徴を捉えているが、アイロニーを感じさせるのだから喜劇だとする向きがいると議論が元に戻るほかない。惜しまれつつ早逝したこの論者は、悲劇か喜劇かという二者択一に囚われぬ、別の観点から「班女」を見据えて我々を驚かす。

 

この劇の主題は、簡単に言えば、不在=観念としての吉雄が現実存在としての吉雄に勝った、ということ、存在よりも不在=観念のほうがはるかに「待つ」に値するのだ、という美学である。この構図は『サド侯爵夫人』のそれとほとんど同じであると言ってよい。『サド侯爵夫人』の真の主人公が不在のサド侯爵その人であるなら、『班女』の真の主人公は待ち望まれる存在としての不在の吉雄である。(略)実在の吉雄よりも不在の吉雄のほうがはるかに存在感に満ちあふれている。つまり、より実在的である、というアイロニー、すなわち観念自体が逆に実在と化する劇。(傍点原文)

 

「サド侯爵夫人」が三島戯曲の最高峰だと感じていながら、「班女」がその原型だとは指摘されるまで気付かなかった。己れのうかつさを恥じるばかりではあるが、全篇が五人の女によって語られ続けるサド侯爵その人ほど、吉雄は二人の女の語りの中で肉付けされてはいない。サド侯爵のように種々な像が提示されるものの本人は最後まで舞台に現れないというのとは逆に、吉雄は具体的な像が語られるまでもなく二人の眼前に現れてしまう。「真の主人公」とは呼びにくいと言わざるをえないが、青海氏がくり返す「アイロニー」には共感できる。「観念が実在と化する」とは強すぎる言い方であろうが、花子が「実在」の吉雄を認められないのは確かである。登場人物たちは別の言い方をしているものの、言わんとするところは青海氏の把握に重なる。

 

吉雄 何を言ふんだ。忘れたのかい? 僕を。

花子 いいえ、よく似てゐるわ。夢にまで見たお顔にそつくりだわ。でもちがふの。世界中の男の顔は死んでゐて、吉雄さんのお顔だけは生きてゐたの。あなたはちがふわ。あなたのお顔は死んでゐるんだもの。

 (略) 

花子 見てゐるのよ。あなたよりもつとしつかり見てゐるのよ。(実子に)実子さん、又私をだます気なのね。だましてむりやりに、旅へつれてゆくつもりなのね。こんな知らない人を呼んできて、吉雄さんなんて言はせたのね。待つことを、きのふも、けふも、あしたも、同じやうに待つことを、私に諦めさせようといふつもりなのね。……私は諦めないわ。もつと待つわ。もつともつと待つ力が私に残つてゐるわ。私は生きてゐるわ。死んだ人の顔はすぐわかるの。                (第四場)

 

 〈現実〉の吉雄という対象を排除した上で、「待つ」ことを純化して生きている花子の姿は、「近代能楽集」にあって目新しいものではない。例えば「綾の鼓」の岩吉を想起してみれば、花子ならぬ華子を美化しすぎて〈現実〉の華子を認めることができずに、己を自死にまで追い込んでしまった岩吉の自己閉塞的な在り方に通じている。また、物語の必然に任せたとはいえ、相手が九十九歳の老婆だという〈現実〉から目をそむけ、妙齢の小町との恋に〈陶酔〉して死を受け容れて物語を完結させた「卒塔婆小町」の詩人も、花子と同類の存在といえよう。

 斃れていった岩吉や詩人と異なり、花子は「私は生きてゐるわ」と言い張ってはいるが、本人の自覚を超えて、死んだ二人と同様に「観念」の世界に自己閉塞していることに変わりない。花子も、より多く実子も、その台詞はどこを引用しても、自身の世界に閉じることをくり返し強調しているだけである。

 

実子 私のねがつてゐるものは、あの人のねがつてゐるものと同じです。あの人は決して幸福をねがつたりはしてゐませんわ。

吉雄 (不敵な微笑)それではもし仮りに僕が、またあの人を不幸にするためにここへ来たのだとしたら……。

実子 あの人の不幸は美しくて、完全無欠です。誰もあの人の不幸に手出しをすることはできません。

 (略)

実子 (略)私を愛するなんて、男として許せないことですわ。……ですから私は、夢みてゐた生活をはじめたんです。私以外の何かを心から愛してゐる人を私の擒にすること。どう? 私の望みのない愛を、私に代つて、世にも美しい姿で生きてくれる人。その人の愛が報いられないあひだは、その人の心は私の心なの。                                 (第三場)

 

 花子も実子も〈現実世界〉における「幸福」を願わずにいるということは、〈外〉の世界を捨てて〈内〉に閉じていることを意味する。整序化することができないほど豊かな現実の世界を捨てることは、外側から見ればこそ「不幸」に思えるものの、本人たちからすれば整然として「美しく」満たされた世界であることは否定しえない。「完全無欠」という実子の台詞は決して強弁ではなく、現実世界に関わることを断ち切って自分たちだけで充足し、自己完結していることを表明しているのである。

 実子の言うとおり花子は一方的に「擒」にされているように見えるが、第二場で初登場した際の「厚化粧」の下には何が隠されているのか、いささか不気味ではある。第二場の花子に関わるト書きに注視すると、実子の言うことを「(きいてゐない)」がくり返されたり「(狂人の狡さもて)」ともあって、花子は必ずしも実子の言いなりになっているわけではなく、悪びれることもなく自己を通す法を身に付けているようにも見えてくる。実子に強要されるまでもなく、花子は「狂人の狡さ」を利用して、したたかに〈現実世界〉を拒絶しながら閉塞しているようでもある。

 

「葵上」

 

 「葵上」(昭29)後半部のおどろおどろしさは舞台で観るのみならず、読むだけでも十分な迫力で感じられる。「ローエングリン」さながらヨットが「(白鳥のやうに悠々と進んで来て)」(ワーグナーをなぞらずにはいられない三島の面目躍如)、生霊の康子が光との過去を再現する展開も、また結末で現実の康子からの電話の声が響く中で葵が死んでいくという趣向も感心するばかりである。しかし光と看護婦との対話で構成されている前半はフロイディズムが滑稽なまでに俗流化されていて、二つの部分が木に竹を接ぐようで感興を殺いでいる。しいて前半部を読むとすれば、「大ブウルジョア」に見える康子の「性的抑圧」が高じて「リビドォの亡霊」となって葵を苦しめに来る、という位置づけになるであろうが、あまりに軽くて図式的にすぎ面白みに欠けている。

 《『近代能楽集』の内では最も原作に近く、重層的な寓意の無い素直な作》(10)という評の通りであろうが、「葵上」を「情念の劇」とする山本健吉の卓論を紹介しつつ、これまでの本論の読み方を確認しておこう。

 

卒塔婆小町』『葵上』など、すべて一人の登場人物のなかに、二重の状態、あるいは対応する二つの人格を設定して、成功している。

たとえば『葵上』の登場人物は、実際は四人なのであるが、真の対立は、六条康子一人のなかに設定されている。(略)夢幻と現実、狂気と正気、過去と現在が、彼女の存在を通して、照し出されるのである。      (「詩劇への一つの道」『近代文学鑑賞講座22 劇文学』一九五九年、所収)

 

 山本の言うとおり二項対立は康子自身の内部でもなされているが、光の存在あるいは彼が体現しているものを軽視すべきではあるまい。康子が「夢幻・狂気・過去」を生きることで自己閉塞しているとすれば、光は「現実・正気・現在」の側から康子に対処しているのである。「狂気」の康子が光と共にあった「過去」に執着しつつ、光の「現在」を崩壊させるという物語である。「狂気」という〈非日常〉の側が〈日常性〉に打ち克つという点では「班女」に似ているが、「葵上」における敗北は形の上では光にではなく葵にも現れ、それも殺人であるところが強烈である。

 

 「狂気」とまで進んでいなくとも、〈非日常〉が〈日常性〉を抑えて暴走するタイプの作品としては先に上げた「憂国」や「英霊の声」(昭41)が上げられよう。この類の作品では〈日常性〉は抑えられたまま、ひたすら〈非日常〉的な論理が志向され支持されている。言い古された言葉でいえば〈自足的な歌〉というところであろうが、「歌」であるかぎり同調できなければ聞いていられないということになる。三島由紀夫に対する反発を生じさせている作品でもあるが、三島自身がこれらに登場する人物のようにドン・キホーテの道を選ぶことになる。(11)その時の三島由紀夫は、すでにセルヴァンテスに止まることに堪えられなくなっていたに違いない。

 

(1) 谷原一人(関谷の筆名)「『金閣寺』への私的試み」(『まんどれいく』一九七一年)、本書収録。『まんどれいく』は前橋高校同窓生の同人誌。

(2) 磯田光一は『殉教の美学』(冬樹社、一九六四年)で、出典を「太宰治について」と誤記している。

ちなみに三島が崇敬していた小林秀雄にも、私小説的文学観に囚われている正宗白鳥を相手どった論争文の中に、似たフレーズが見出せる。

《無論、ドストエフスキイは、「地下室の男」ではない。これを書いた人である。》

(「思想と実生活」昭11、傍点原文)

(3) 本書に収録した「三島由紀夫作品の〈二重性〉――「剣」・「殉教」・「孔雀」」は読み方における〈二重性〉の問題であり、本論は物語内容における二項対立の問題なので論点が異なる。ちなみに「殉教」と「孔雀」は対立が解消されて終るパターンに入るであろう。

(4) 『シドク 漱石から太宰まで』(洋々社、一九九六年)所収の岡本綺堂論の初出題である「試読・岡本綺堂の作品――その自己実現の諸相」のとおり、上演とは無関係に戯曲を「試みに読む」ことの再現である。

(5) 井久保茉優「三島由紀夫『弱法師』論」(『青銅』二〇一五年)、『青銅』は東京学芸大学近代文学ゼミの機関誌。

(6) 佐藤秀明「『弱法師』『卒塔婆小町』の〈詩〉」(『三島由紀夫の文学』試論社、二〇〇九年)

(7) 平敷尚子「三島由紀夫卒塔婆小町』」(『20世紀の戯曲Ⅱ 現代戯曲の展開』社会評論社、二〇〇二年)

(8) 旧仮名遣いを通した三島由紀夫のテクストからすれば「ぢつと」とあるべきだろうが、三島特有の仮名遣いとしてすべて「じつと」のままにした。

(9) 赤星将史「三島由紀夫『班女』論――三者三様の喜劇の諸相」(『時の扉』二〇一四年)。『時の扉』の発行は東京学芸大学石井正己研究室。

(10) 『三島由紀夫事典』(勉誠出版、二〇〇〇年)の「葵上」の項目、執筆は堂本正樹。

(11) 三島の自裁の意味については、注(1)の論を参照されたい。