【読む】兵藤裕己『物語の近代』  蓮田善明  保田与重郎  三谷邦明

 大学院の後輩でもあり、桐原書店編集委員同士でもある兵藤裕己さんが、スゴイ本を出した。『物語の近代 王朝から帝国へ』(岩波書店、2800円+税)というのだけれど、名前のとおり近代文学も射程に入れて、鏡花や透谷などを(ハーンとのからみなどで漱石も)論じている。兵藤さんの本は個人的に興味を持っている太平記関係のもの等は(マンガも含めて)持っているけれど、今度頂戴した本は文学を正面から論じているので、とっても勉強になる。『演じられた近代』や『〈声〉の国民国家・日本』なども評価され広く読まれているようだけれど、これらは文学論中心とはいえないので、今度の本こそおススメです。岩波にしてはお安くなっているし、値段以上に充実した本だヨ。

 兵藤さんの論の魅力は(イチロー同然の)切れ味の鋭さにあり、論文にもなっている「はじめに」には柳田國男まで頭ごなしに批判されているのでビックリ。ボクもあわてて柳田の専門家である学大のベンゾー(石井正己)さんにメールして、批判に説得力を感じるけどイイのか? と問い合わせているところ。

 ボクの関心が重なるようなので、「王朝の物語から近代小説へ――語りの主体から『自我』へ」という論を読み始めたところだけど、いきなり蓮田善明の論考を評価する発言が出て来たので、兵藤さんらしいナと思った。蓮田善明といえば三島由紀夫が憧れた人で、戦中は軍服を着て国文学会で演説をしたり、敗戦時には責任をとる意味でピルトル自殺したと記憶する。兵藤さんは京都大学の額学部生の時は、保田与重郎の所へ話を聴きに行ったとも聞いたけど、蓮田にしろ保田にしろ超国家思想家として戦後は忌避されていた思想家なので、そういうヘンなところがオモシロいと評価できる人だった。戦後民主主義で育ったボク等は保田や蓮田は否定しなければならないように刷り込まれていたので、その風潮に反する姿勢が気に入ったのだネ。

 

 論では三谷邦明が「自由間接話法」を援用している点を批判しているところも、とても気に入ったネ。三谷という人は古典文学研究者ながら、むやみと新しい理論に飛びついてひけらかすタイプの代表のようで(古典の人にも意外に多い)、そのアサマシイ態度を兵藤さんがたしなめているように見える。兵藤さんによれば、「自由間接話法」ではなく古典作品特有の話法だというのだけれど、自分の眼で判断してもらいたいネ。三谷さんは早逝したそうだけど、新しい理論を追い続けた無理がたたったのだろネ。皆さんも無理してはいけないヨ。