【読む】曾根博義『私の文学渉猟』(夏葉社)  自由間接話法

 このところ立て続けにご著書をいただいていて、紹介の方が遅れがちだヨ。曾根博義という人は若い人は知らないかもしれないけど、歴史に残る傑出した研究者だヨ。惜しくも5年ほど前に逝去されてしまったけど、遺された業績はハイレベルのものばかりで、生きてその数倍の偉業が展開されたはずの方だ。生前から集めた本の量が膨大だというウワサだったけど、案内によれば5万冊もあると言うのでビックリだネ。ご本人にはどの本がどこにあるのかが大体頭の中に入っていたというのだから、2度ビックリだネ。ボクが逃れ切れずに昭和文学会の会務委員長を引き受けた時には、代表幹事として支えていただいたけれど大きな組織を運営する能力にも長(た)けた人だった。 

 この度、奥様に佐藤健一さん(親しい研究者)と山岸郁子さん(会務委員としてご一緒した人・曾根さんのお弟子)のお二人が協力して、書き残されたものから比較的軽めのエッセイを中心にして一書にまとめて刊行された。伊藤整に関する著書以外にはまとまった書が遺せなかった曾根さんに触れる機会のない人には、2300円+税というお手頃の価格で入手できるのでおススメだ。曾根さんの業績を全集のようにまとめる企画をしている出版社があると聞いて喜んだこともあるけど、ぜひ実現してもらいこれからの研究者に役立ててもらいたいものだ。

 ボクには「第四章 伊藤整私小説」がとりわけ面白く役立ったけど、個人的な希望を付させてもらえば文芸誌『海燕』に連載されたエッセイ「近代文学瞥見」をまとめて収録してもらいたかったネ。2ページの研究ノートのようなものだけど、ものすごくレベルが高くて現在の研究者にも役するものが多大なはずだ。身近にいて漫画でもドラマでもいろいろ教えてくれるヒッキ―君に「先生(ボクのこと)が自由間接話法を知っていれば、論文にもっと広がりが出たと思いますヨ」というようなことを言われたことがあったけど、最近のヒッキ―君が拠り所にしているらしい橋本陽介さんの著書も含めて、90年2月号に載った「自由間接話法という鏡」という曾根さんのエッセイを知らないようだ(橋本さんの廉価版の著書の参考文献には見当たらない)。

 曾根さんのエッセイでは、英語学研究者の著書や論文も消化した上でこの話法の難しさが解説されている。曾根さんがこれほど困難を覚えている話法など、ボクには理解できないだろうと腰が引けたものだ。むやみにそして気軽に「自由間接話法」を振り回していると、三谷邦明のように自ら混乱して何を言っているのか分からないような結果となるだろう(『近代小説の〈語り〉と〈言説〉』所収(1996・6)論文)。最近やっとヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」(冨田彬訳)を読み始めて、この作品・作家に即しては「自由間接話法」が〈方法〉として追求されていることが理解できたような気がしている程度である。うかつに日本文学に当てはめてみようなどという蛮勇は持てないナ。

 ことほど左様に曾根さんは広い視野からいち早く理論や方法を吸収した見地から、日本文学研究者の動向を見透かしていたのだネ。とにかくスゴイ人だったヨ。