【近況】「三好文子を不良オバサンにする会」の旅行会報告

 旅行会の報告を釣り中心に記すつもりでしたが、山田有策先生やゼミ部でお馴染みの高田知波先生など今回は参加できなかった旅行会の皆さん向けのメーリス記事を、そのままコピペすることにしました。長い記事と似たものをブログ記事にしてくり返すものタイヘンなので、個人情報的には問題無さそうでもあり、亡き師匠・三好行雄のご家族とイチローを含む門下生たちの親しい結び付きの様子が伝わることと思います。

 記事に出てくる樫原先生は釣り部では親しいお名前であり、今年は釣り部の日程とズレていたため先生が収穫したマツタケにありつけたのはユウ君ペアとボクだけでしたが、ボクは記事中のマツタケと昆布の煮しめたものも味わうこともできました。浜名湖の釣りは(釣り具屋が保証した)シロギスは釣れずに足元の岩場に群れるカサゴ(やベラ)ばかりでしたが、十分楽しめました。2日目は早朝釣りだけで、観光後に1人残ってやるつもりだった釣りは心身疲れて中止し、関東在住の5人そろって上りの新幹線で帰ってきました。国立からは東京駅経由よりも、横浜戦経由で新横浜で新幹線に乗り換える方が早いというのは新知識でした。


     
     旅行会報告(セキヤ)
    無事楽しさ極まる旅行会から戻りました。 
    広島から樫原さん・岐阜から根岸さんも合流して奥様も大喜び、我々も実に久しぶりの根岸さんとの再開を楽しみました。 
    せっかくの浜名湖ということで早朝5時過ぎの電車で出た私とは異なり、他の皆さんはホテルに3時頃という申し合わせをしていたのですが、皆さんミゴトにバラバラになったま
    ま3時を大幅に過ぎて到着しました。 
    根岸さんはホテルに3時ころと伝えてあったボク等に合わせて待ち続けた疲れからか、私と度年配の老爺に「セキヤさんですか?」と声をかけて「違います」と応じられて焦った
    そうです。 
    でもその紳士が「間違われて光栄です」と返されたので安心したそうですが、私のようなカッコイイ紳士がそういるものではないのに、続けざまに2人目の紳士にも声をかけそう
    になったとのこと。 
    まるでエロババアのような所行のように聞こえますが、それだけ長い間顔を合わせてないので相手の老化の程の想像が過剰に広がってしまったようです。 
    3人目の紳士はもう1人の樫原さんらしい紳士と話し合っていたので、今度はホンモノのイチローだと判断できたとのこと。 
    当の根岸さんは相変わらずの童顔に少々カレー(加齢)味を加えた感じのままだったので、こちらはすぐに認知できました。 
    早速3人で部屋に行き、根岸さん差し入れの「ゆかり」(高級エビせんべい)と樫原さんご尽力の成果であるマツタケと昆布の煮しめ(?)をツマミにビールを呑み始めました。 
    3人が小林秀雄研究者というのも面白いですが、小林研究者は互いにケンカしない傾向の現れでもありました(漱石中野重治の研究者はケンカが目立つ!)。 
    そのうちに中野研究者・高橋クンとコロナ罹患経験者の林クンも合流して酒盛りを続けました。 
    ホテルの隣りがコンビニという立地条件で、コンビニエントなホテルでした(土地の静岡ビールも意味でした)。 
    夕食はバイキングとはいえウナギは各自に配布されていた上に、その場で焼いてくれるビフテキはじめ各種の美味しい料理を食しながら、高橋幹事長(旧称「組長」)の手配で割
    引になった2万円分で赤白ワイン4本やビールを満喫しました。 
    幹事長のお蔭で会場を追われるまでタップリ飲食しました。 
    全て3人前くらい平らげたワカ(立彦さん)と、奥様の隣りで終始歓談できた根岸さんが夕食後に日帰りした後は母子はそのままご就寝のようで、部屋では残りの4人が呑み続け
    ましたがまずは林さんが自室に戻り、遠出した樫原さんが呑んでる部屋のベッドで寝つき、イビキのために旅行会は参加しにくいとも言っていたそのイビキをバックミュージック
    にして、幹事長と私は長いこと呑んでいましたが(午前2時くらいまで?)幹事長はすぐ横のベッドで私はソファに座ったまま寝込んでしまいました。 
    朝ソファの下で目覚めたのは予定より遅い5時半過ぎでしたが、呑んだ割には二日酔いもなくそのまま近場の漁港に釣行、前日には釣れなかったメゴチ1尾その他を釣ったのを放
    して朝食に合流。 
    前日は1時間以上歩き回って2ケ所で釣り、カサゴの小型やベラが入れ食いの場所を見つけて大量ながら、超小型と鈎を呑んでしまったのは持ち帰って煮魚で食すつもり。 
     
    2日目は幹事長の提案で浜名湖北側のフラワーパークへ。 
    バスで40分もかかるのはタイヘンでしたが、往復ともに奥様のすぐ後部座席にいて旅行会では皆さんに聞いてもらう愚妻に関するグチをお1人で聞いていただきました。 
    でっかいビニール袋に衣類が食物まで詰め込んだものを十数個、ベランダに積み上げてあったものを炎天下で3日かけて片付けた話には、さすがの奥様も愚妻のカタを持つのを諦
    めて私を称賛してくれました。 
    ともあれフラワーパークは長時間バスに揺られて行く価値のある開けた場所と盛りだくさんの花でしたが、あまりに広いので奥様に場内に用意されている車椅子の利用をお勧めし
    ましたが敢然と独歩を選ばれました。 
    そのリンとした意志の強さは、多少とも曲がりがちな背中でキャスターを杖に荻窪駅まで歩くこともあるというお元気さともども、今後の旅行会への可能性を感じさせてくれまし
    た。 
    その前すっかり親孝行息子の模範となったにワカに率直なところを聞いたところでは、「今回の旅行会で最後かも」ということでしたが、奥様は心身共にその危惧を打ち消してく
    れるものでした。 
    以前からイメージしていたのですが、遠い将来は車椅子が詰めるワゴン車で旅行会を継続することも含めて、ワカの意向も尊重しつつ今後の検討事項だと思います。 
    もちろん都内で開催される会合には不都合が無いので、今回は控えながら見送って新年会を見すえる検討結果は、いずれ高橋幹事長から皆さんに連絡があると思います。 
     
    想定を超えて長い報告となりましたが、身体以上に元気な(減らない)口を持ち続ける相変わらずのイチロー節でありました。