【読む】ハルキ再読②  自国民を大量虐殺したポル・ポト派は新左翼か?  全共闘と全学連

 この鼎談からは、ハルキだけでなくたくさんのことを学んだネ。その1つが笠井潔の次の発言で、ボクには世界史上最悪の「革命」と思われるカンボジアポル・ポト派の自国民ジェノサイドの位置づけだ。

 《ポル・ポト派ーーキュー・サムファンとかイエン・サリというのはアルジェリア戦争時代にフランスに留学しているわけです。当時フランス共産党は政府のアルジェリア政策に加担していたために、そこでフランスでは初めて反共産党的な左翼が層をなして出てくるわけです。もちろん、ハンガリー事件(【関谷註】後の「プラハの春」事件と同じく民主勢力をソ連の戦車が抑圧した事件)の衝撃もあったでしょうが、彼らは、(略)反共産党、あるいは半伝統左翼、反旧左翼的な過激派の土壌から出て来たわけで、コミンテルン支部インドシナ共産党出自のベトナム労働党とは生まれてきた筋が全然違う。要するに、ポル・ポト派というのは新左翼なんです。カンボジアベトナムの対立は、新左翼と旧左翼の対立という面があった。旧左翼の日和見主義を糾弾する、革命的で戦闘的な新左翼が政権をつくったりすると、ああいう無惨なことになる(略)》

 ポル・ポト派は自国のインテリを中心に何万人もの人を虐殺し、都市から国民を駆り出して地方に「理想国」をつくろうとして粛清をくり返したオゾマシイ人物だ。今のプーチンのように思い込みで平気に人殺しをくり返したわけだけれど、さかのぼればすぐに連想されるスターリンがやった数十万とも数百万とも言われる自国民の粛清が想起される。プーチンスターリンに対する否定的な評価をひっくり返したのもうなづける。実はスターリンの時代には(さらにレーニンの時代から)、プロレタリア革命の理念から無理やり集団化を強いられた農民の反乱がくり返され、トロツキーも含むソ連の指導者によってウクライナはじめ何百万という農民が虐殺されたという歴史があるのだ。

 全共闘というまさに「新左翼」を自認するボクとしては、残虐極まりないポル・ポト派と共に「新左翼」としてくくられるのは不愉快で納得しがたいけれど、軟弱な「日和見主義」=議会主義を通していた日本共産党に対する反発から敵として闘い続けてきたので認めざるをえない。さらには連合赤軍事件でもコイツ等なにをバカなことやってンだ! と反発したものだけれど、彼らも反日共産党を貫いてきた結果なので「新左翼」としてくくられても仕方ないナとは思う。

 しかし連合赤軍はあくまでも政治的な「革命」を目指した運動だったのであり、全共闘は世界が政治的「革命」で決着するとは考えなかった点では大きく異なっていた。革命を目指す反共産党系の「全学連」である点では、連合赤軍は「全共闘」ではなく「全学連」と直結しているのだネ。政治的革命は必然的に民衆を抑圧する結果となるので、革命が実現したらすぐにその革命勢力と闘うのだというのが一般的な全共闘の考え方だったと思う。全共闘新左翼)が共産党全学連と決定的に異なるのは、他者や社会に責任を取らせるのではなく自分自身の在り方を厳しく問うという自浄志向にあるとボクは思う。