【状況への失言】「映像の世紀」  ベルリンの壁崩壊 (増補改訂版) 東欧諸国のソ連からの解放  

 今は「映像の世紀 バタフライエフェクト」の「ベルリンの壁崩壊とメルケル」の再放送を見ながらブログを書いているのだけど、既に録画してあるから余裕でブログ更新できるヨ。実は一昨日の夜の「激動の年1968と1989をつないだ勇気」の回を録画したいのだけど、来週の水曜のこの時間を期待しよう。でもこの2つの回は密接につながっていて、「ベルリンの壁~」の冒頭で登場する東ドイツ出身の歌手ニナ・ハーゲンは「激動の年~」に最初に登場する歌手ビーアマン・ハーゲンの娘で、親子で東ドイツのシュタージ(秘密警察)に反抗して国外追放と亡命したのだネ。

 1968年という年西暦年は個人的に一番好きな数字である、昭和で言うと43年で共に好きな数字だヨ。例えば西友に買い物に行って地下駐輪場に自転車を置く際には、まず43番(その周辺でも可)を選ぼうとするのだネ。なぜならこの年は大学入学してすぐに全共闘運動に関われたからで、わがジンセイのクライマックスだと自認しているからだ。あれほど充実して感動した時間は空前絶後だネ、もちろん世界はベトナム戦争はじめ強者が弱者をイジメ続けていたけどサ。だから大学に入学してすぐに(入学式当日の夜から)ベトナム反戦デモに王子まで出かけたヨ、王子にはベトナムの負傷者を手当していた病院があったからだ。

 強者(例えばベトナム全土を爆撃しまくるアメリカ)に対して抗議・抵抗る時に感じる充実感は、それ以前の人生では得難いものだったからネ。大学生時代から特定の政党やセクト学生運動の党派)には属したことがなかったから、王子以降は当時教養部の自治会を握ったばかりのフロントはじめ、中核派社青同が主催するデモに出かけていたのでけっこう忙しかったヨ。6月15日からは全学無期限ストライキに突入したので、レベルアップした充実感をクラスの仲間と共有したヨ。

 

 話をドイツに戻すと、国内で目先の闘争に集中していたせいか(あるいは下宿にテレビが無かったせいか)、国際的な運動の広がりについては知らなかったナ。フランスの「5月革命」は知っていたけど、ドイツでビーアマン・ハーゲンという男が反体制的な歌を広めたお蔭で弾圧されていたとは全く知らなかったネ。当然その娘の「カラー・フィルムを忘れたのね」という体制批判の歌が、ドイツ全国で広まったことも知らなったからメルケルが首相を退任した時の記念の集まりで、彼女がドイツの国立の(?)のブラスバンドが演奏する曲として「カラー・フィルムを忘れたのね」を選んだというエピソードは微笑ましく感動したネ。

 1968年の頃はチェコ反政府運動が盛り上がったものの、ソビエト連邦の戦車によって弾圧されてしまったものの、ソ連の抑圧的体制を転倒したゴルバジェフが現れた1989年に解放され、民主主義国家に生まれ変り社会主義体制下で弾圧されていたハヴェルが大統領となった。ポーランドでは肉体労働者であるワレサが組合運動「連帯」の議長となった流れのままに、1989年に大統領に就任した。

 東ドイツでもゴルバジェフの影響で全土で反政府運動が盛り上がり、ソ連の言いなりだった政府が打倒された。その時ドレスデンで秘密資料を燃やしたりしながら銃を持ってデモ隊と闘っていたのが、ソ連KGB(スパイ組織)の一員だったプーチンだったということは、番組では触れていない。あの時にプーチンが死んでいたら、現在ウクライナ・ロシア両国の若者たちの命が失われずに済んだのに、と思っているのはボクだけじゃないはず。

 ともあれ「映像の世紀」の「激動の1968年と1989年をつないだ勇気」は絶対見逃しちゃいけないヨ。