【読む】ハルキ再読  加藤典洋・竹田青嗣・笠井潔の鼎談  「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」

 同調圧力に対する抵抗ではないのだけれど、ハルキはそれほど読み込んでいない。主線になる作品は読んでいるけど、「騎士団長殺し」はじめ未読の作品も少なくない。去年やっと「スプートニクの恋人」というのを読んだけど、作品末尾で落とし前を付けずに済ませているので、読者がそうした甘ったれた書き方を許しているからなのだろナ、と腹が立ったヨ。珍しくリアリズムで書いた「ノルウェイの森」も、精神が病んでいる女性が簡単にフェラチオしたり、主要人物の男が熟女と簡単にセックスしたりと不自然な展開が目立つので2度と読み返したくないネ。

 ただし短編のいくつかはゼミで盛り上がった議論ができたので、優れた書き手であることは認めているヨ。長いものでは一番「文学」が伝わってきたのは「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で、スラスラ楽しく読めたのが「ダンス・ダンス・ダンス」といったところかな。それでも敢えて再読しようとは思わなかったけど、いま集中して読み続けている加藤典洋等の鼎談『村上春樹をめぐる冒険』(河出書房新社、1991)を読んでいたら、上記2作以前の作品を読み返してみたい気持になっている。というより既に「世界の終り~」を少しずつながら再読し始めているヨ。

 竹田青嗣は昔から敬服している評家で去年読み始めて刺激を受けたまま放置している『プラトン入門』(ちくま新書)はじめ、たくさんの著書を具えている。笠井潔推理小説中心の評家と誤解していたので2冊しか持ってないけど、加藤典洋は何故ハルキになどにこだわっているのか分からないものの、10冊近くの著書をそろえている(あまり読んでないけど)。このウルサ型の3人がマジメにハルキを論じ尽くしているのだから(1991年までの作品に限る)、面白くないはずがない。「ノルウェイの森」を否定している笠井には共感するけど、それを弁護する加藤・竹田に意見を吟味するためにもこの不快な作品も読み直してみようかと思ったほどだヨ。

 でも初期の「風の歌を聴け」や「羊をめぐる冒険」などの「鼠」が「世界の終り~」の「僕」になったと3人が論じているので、俄然「世界の終り~」が読みたくなったのだネ。竹田の発言を引用すれば、

 《この小説は、自分の内的な格率の世界で生きていくという場面を拡大し、純粋化して、壁の中の世界というかたちで実験している。(略)つまりラディカリズムはもう成立しない。成立しないということが時代の前提であると言えるならば、村上春樹は、現在ある空虚感をラディカリズムに立って批判するのではなく、むしろイロニーやシニシズム、あるいはそれにつきまとうニヒリズムの内側を生きて、内在的に人間の生にとってそこに欠けているものはなにかということを探しているわけです。》(p、120)

ということだというので、当時そこまで重大な問題が込められているとは読めなかったボクとしては、再読して確認したくなったというわけだネ。ハルキ・ファンからすれば

 

@ 記しておきたいことが他にもあって長くなりそうので、続きは改めて。