【状況への失言】オカマという言い方 

 以前「若新」や「平野ノラ」などが誤記されていたブログ記事を訂正してくれたインテリ友人が、実はもう1ツの指摘をしていた。

ミッツ・マングローブは「オカマ」ではなく「女装家(ドラァグクイーン)」と

  称しているはず。

 というのだけど、ミッツが「ドラァグクイーン」(初耳の言葉)と自称したのを聞いたことはない。しかし「5時に夢中」(東京MX)では「私らオカマは」という言い方はよくしている。水曜に出演するブラスも自分を「オカマ」と言うことがあるけど、女装はしてないながらもゲイを自認している。ブログでは自虐にしろ、「オカマ」を自称するところに好感がもてる(?)と記したのだネ。昔はオスギとピーコも「オカマ」を自称していたと記憶するけど、このところこの手の人たちがメディアにむやみと露出し過ぎて鼻につく感があるからネ。「オカマ」呼ばわりは絶対しないし差別する気もまったく無くても、何ごとにしろ過剰になると嫌味に転じるからネ。

 イッコ(IKKOと記すのかな?)が「オカマは男娼を意味するのだから、オカマと呼ぶのは許せない!」と言っているのを聞いたことがあるけれど、気持はよく解るものの意味を限定し過ぎているネ。フツーLGBTQを総称してオカマと言っているわけだからネ。しかし彼ら(と言うと性別を限定し過ぎるので)ではなくその手の人たちは、ミッツのように自称してもオカマ呼ばわりされることは許容しないはずだからネ。だからその手の人たちを直接オカマ呼ばわりしてはならないし、そういう人たちがいるところでオカマという言葉を発するのも控えなければならないネ。

 オカマという言葉が無くなればそれに越したことはないけれど、トルコ(風呂)がソープという言葉になり替わったようには、LGBTQが定着するとも思えないのがネックだネ。