【呑み部】留年クラスの新年会  43入学生と45入学生の異同

 先週は大学同期入学(昭和43年)のクラス全共闘仲間の新年会だったけど、今日(4日)はボク等10名(40名中)が進級試験を拒否して留年したクラス(45年入学)の仲間との新年会だった。もちろん集まった45生も気分的・心情的には全共闘だから、入学した時からボク等留年生と距離感なく付き合っていたヨ。43クラスと同様で、45クラスもハナから全共闘派と非全共闘派とに分かれていたネ。

 今日も話題にもなったけど、安田講堂はじめ学内がバリケード封鎖解除後の散乱ぶりで44年は入試が中止になったため、45年は44年に入学できなかった成績優秀な受験生が増えて合格が困難になるのではないかという危惧があり、東大を回避して他大学受験に回った受験生がいた。一方で敢えて東大にチャレンジした受験生もいたので、合格者は大きく言えば2分されて成績優秀なまま合格した人と、回避した人が多かった分の隙間に入り込んだ形でマチガッテ入学できてしまった人とに2分されていた印象だ。  わが45生も内田樹のように堂々と合格した者もいれば(ただし内田は高校時代にチョンボした=当人によればオンナの問題のために高校卒業できなかったので、大学受験資格試験とかいうのをパスした上での受験)、まさかと疑われる合格者いないわけではなかったネ。カンニングして入学できたと豪語していたヤツもいたけど、様々に問題児ぶりを発揮しながら退学していったヤツもいたナ。

 その点では43生は均一化していた印象だったけど、今日は44年に京都大学に入学しながらも退学して45年に東大受験し直し、内田たちのクラスになったヤツが想起されていたネ。この手の人間の多くの場合のように、当時から今日までバカにされる対象になっているけど、個人的に話した覚えはないものの確かにバカにされても仕方ない言動をしていたネ。当時このバカを殴ったという乱暴者も珍しく今日は参加していたけど(会えて嬉しかったネ!)、今は別人のように大人しくなった元乱暴者などはマチガッテ入学できたクチかな。

 破天荒な乱暴者がそうであることが多いように、この男は実に気持の良いヤツで40代で亡くなった仲間の遺族母子と付き合いがあるというのも驚いたネ。ボクは年賀状のやり取りしかやってないので、今日彼から得た情報はありがたかったネ。

 

 今まで二次会をやったことないのに、今日はこの男の発案で茶店に行くことになって7名(10名中)で店を探し回ったものの、この人数を許容する茶店が見つからないままウロウロしているうちにボクの膀胱が許容度危険域になったので、ボクは皆から分かれて焦ってトイレ探しに転じたためその後の彼らのことは不明のままだヨ。