井伏鱒二はオモシロイでしょ?

 レポがなぜ「掛け持ち」を選んだのかと問われてましたが、実は私が吉岡クンに勧めたのです。結果としてのレジュメが示すとおり、自己「演出」という言葉が出てきたように成功でした。論じにくい作品ではありますが、議論はとっても面白くて参考になりました。ゼミ中でも言ったように「大空の鷲」という作品も同工異曲で、一羽の鷲が現れる場所によって二通りの名で呼ばれるという話です。主体がドッペルゲンガー(二重身)を表すのではなく、主体を見る側が二通りに見るという趣向です。
 喜十さんにダンディズムのような主体性(人間としての核)を読むか、没主体性を読むか意見が分かれましたが、読み手の人柄が出てオモシロイ問題でした。
 次回は吉行淳之介「海辺の土地で」です。