「ネロ」でも充実した議論が

全然期待せずに、奨学生の推薦書等の書類を書きながら聴いていようかと思ったほどでしたが、レジュメの良さに救われて充実したゼミとなりました。
先般見た金城クンの作・演出の演劇は自己満足に徹した面白みの無いオナニー公演でガッカリしましたが、今日のレジュメと議論への乗りは感心しました。
イイダ姫の「僕」の変化を読むという方向は、イチロー君の「和解」論に近いと感じたので、その線に沿った解説を補いました。
通過儀礼(イニシエーション)やモーニング・ワーク(喪の作業)という考え方を紹介したら、意外に受けたので良かったです。
それにしても「ネロ」は輝くフレーズに欠けるツマラナイ作品だと思いました。
俊太郎の若書き(頭で作った)作品のせいでしょう。
ネ・ポエト(生まれながらの詩人)というべき詩人の内部から溢れた言葉とは思えない、素人っぽい言葉の羅列にも見えてきます。
来週は岡本かの子「鮨」。
学大博士で金曜の近代文学概論を講じてもらっている、呉順瑛の臨床文学論的な面白い「鮨」論が『学芸国語国文学』に載っています。