学会の役員を降板

 この2年間は昭和文学会の常任幹事と近代文学会の理事の両方に選出されたので、結構タイヘンだった。
取り立てて重要な任務からは外されてはいたけど、予想以上にツラかったのはやはり自分が向いてないのだと思う。
選ばれて暫くした時点で、「やってられネェ! 辞めたる!」とブログに記してその後も繰り返したが、宣言通りに今回は幹事と評議員をお断りした。
投票していただいた方々には、期待にお応えできずに申し訳ないながら、自分の気持としては限界だった。
三島由紀夫の原稿の件で、当時代表幹事だった松本徹さんに不義理をハタライたために、会務委員長を已む無く引き受けたのが役員に選ばれる切っ掛けだった。
常任幹事も複数回務めたし、近代文学会では運営委員も編集委員もそれぞれ務めたので、自分では学会には「恩返し」が済んだという意識があった。
やはり「心ならずも」という意識を常に引きずっていたので、昭和文学会で傳馬義澄さんがご家族を動員して作業したとか聞いたのを始めとして、役員の皆さんの献身ぶりを見聞きする度に「自分にゃできない」という気持を強くするばかりだった。
近代文学会では「○○委員長をやりたい」と明言する人がいるとか聞いて、自分は他人(ヒト)を率いて全体(学会とか)のために活躍しようとするタイプではないと痛感したものだ。
勤務先でも学部長に当たる人から、○○委員長をやれと言われて即座に断ったことがあるが、その後学長室に呼ばれて学長・副学長・学部長の三人の前に座らされて拒否した理由を問われたことがあった。
その時に応じた言葉はイチロー語録の中でも光るひと言、「あなた方はそんな役職に私を就けて、学大をツブス気ですか?」だった。
学長はまだグズグズ言っていたが、代わって引き受けた人(仕事もできてヒトも良い)は現在副学長を務めている。

 そもそも役員どころか、学会なるもの自体が馴染めない感じではあった。
「インテリどもがお高く留まりやがって!」というヒガミ根性が強く、院生の頃は会場に行くのは飲み仲間と待ち合わせるのが目的で、「発表は聴いてもツマラン!」と決め込んでいたものだ。
その仲間の一人が高橋博史だが、彼が運営委員長や理事を立派に務めているのを見て、畏敬の念というのか「ある種の感慨」を覚えたものだ(前田久徳も同じ思いだったろう)。
マジメに参加するようになってからも、太宰の発表を聴いて懇親会を断って帰ろうとした時に、リン(林淑美)さんから「あんたはいつもそうだよネ」と叱られてビックリしたのを忘れない。
口を利いたこともない「学界のスケバン」(私の命名)からいきなり「懇親会には出るものだ!」と言われて、多少は考えるところがあった気はする。
ともあれ学生と伴走するタイプの教育者という自己認識が強いので、役職に就いて学会のために務め続けるには心身に無理を強いてきた。
学生・卒業生と長いこと話していても(種々の指導や悩み相談を始終している)別段メンドーとは思わないが、学会の業務をしていると「学生を放っておいて、こんなことしていていいのかナ?」と感じるのもしばしばだった。
学大もあと2年で定年というところまで漕ぎ着けたので、学会の方はいつまでも無理せずに少々早目に退かせてもらった次第。
役職に就かせてもらったお蔭で、多くの優れた方々と親交が結べて有り難くまた楽しかったので、今後も時には懇親会にも参加させてもらうこともあろうと思うので、お見捨てなきよう願います。