【読む】『シドクⅡ』に対する書評  柴田勝二

 『日本近代文学』が『シドクⅡ』の書評を載せてくれた、筆者は柴田勝二さんで東京外国語大学の先生。昔から名前は知っているけど面識はまったくないし、著書は1冊持っているはずなのに未読のままなので、今回家探ししたものの見つからない(薄い青や緑色のカヴァーであることは覚えている)。まことにイチロー語録にあるとおりで、《探し物とオンナは探しても出てこない》。三島由紀夫の論集などで見かけた名前だから、三島を中心とした昭和文学の研究者というイメージなので、学会の編集委員会が書評を依頼したのもそのためだろう。

 それにしてもよく引き受けてくれたものだ。ファミリー「内」の仲間に対しては理想的人間像のイチローかもしれないけど、学大時代には5人中2人の学長と闘ったのをはじめ、「外」ではなかなかメンドクサイ存在だからネ。学会でボクを怖れるテクスト読めない女性(名前は伏せる)が、陰でボクを「エクセントリックな人」と言ったと聞いたことがあるけど、気持は分かるネ。大きな欠点があってそれを突かれたくないと怯える人は、自然イチローを怖れるようだ。

 むかし出した2冊の本でも、日本文学協会の『日本文学』は2冊とも書評が載らなかったのは事実。依頼されながら書評を書か(け)なかったのが誰かは分からないけど(だからボクを怖れている存在かどうかは不明)、脱会するにはイイ契機にはなった。日文協は綱領を掲げるように旧左翼系の学会なので、山田有策氏など新左翼の研究者は入会していなかった。憧れの山田さんに倣ったわけではないけど、ボクも会員ではなかったものの、宇都宮大学で同僚となった米田利昭さんが会長となった時に入会を頼まれて会員になった次第。

 

 というわけで柴田さんは能力の無い上記女性が持つような偏見もなく、水準以上の実力と自信も具えているので、気軽に(深慮遠謀もないままに)書評を引き受けてくれたものと考えられる。書いたものは読んでないけれど、東外大が学会の会場になった時に檀上で挨拶した姿からは大人しい紳士に見えたとおり、今回の書評もフツーなら問題のないものとして読み過ごされる類のものだろう。しかしことイチローとなると黙ってスルーする(すぐ言葉遊びする!)わけにはいかない。もっとも、柴田さんが悪意で書いた箇所があるわけではないので、「エクセントリック」に騒ぎ立てることはしない。ただこれでは誤解されたままになる可能性のある箇所だけには、コメントを付しておきたいと思う。

 というところで1000字になったから、続きは改めて。

(前振りだけでこれだけ書いて、書評=文学に関心の無い人にも読ませてしまうのも芸のうち。)