審査委員会の音源記録  学芸大教員の退廃

昨日、というより今朝の「つぶやきイチロー」の方に、つい書いてしまったけれど、午後の院授業(3時間弱)の後でやっと審査委員会の録音を聞くことができたので御報告。
すぐに報告できれば良かったのだが、他大学で指導教員のイジメに遭っている留学生の指導を約束していたので、ブログ記載が果たせなかった。
イジメといってもセクハラではなく、アカハラというべきもので、留学生の文章(それも日本人学生のチェック済み)の直す必要のない箇所までワザワザ手を入れて、書き換えないと一段とツラく当たるというイジメわざ。
ひと月ほど前だったか、イジメに遭った留学生が自殺したという報道があったが、事件にならなければと願いながら保護している感じ。
この御仁は研究者としても著名なので、意外に教育者としては偏頗なので驚いた。
(研究者としても、教育者としても、人間としても「不合格」者にも悩まされているが。)
ともあれこのトシになると記憶に自信が持てなくなるので、記憶違いで他人(ひと)を攻撃してたら申し訳ないから一度は聞いておかねばならなかった。
マイクが遠いのか、久保田紀昭(としあき)弁護士の言葉がよく聞き取れなかったのが遺憾だったけれど、イヤホーンで聞かせてもらったら概ね再現できた。
結果は徒労な1時間半余りを、再び繰り返しただけの疲労感だけ。
こんなに無駄なやり取りにこれだけの時間を掛け、その上でいとも簡単に「懲戒」と決するのだから、やはり学大は病んでいるという外ない。
手続きからも、知性が片鱗も感じられない。
あらかじめ(弁護士によって)作られた「懲戒」物語の完成に向けて、関谷の言質を取ろうとして言葉の意味を一義的に誘導しようと企んだ、クサイ田舎芝居そのものでウンザリするばかり。
明日の「教育研究評議会」に出席予定の方は、一度聞いてから参加して欲しいもの。
副学長も審査委員も、多忙にかまけて「処分」問題は弁護士にお任せ! という姿勢でいる以上、学大の腐敗は止まらない。
学大ではなく「執行部の腐敗は」と限定したいが、弁護士と大竹副学長の「〜〜という言葉は適切な表現だと思うか?」だけの一辺倒な繰り返しを冷やかに(批判的に)見ていたものと思われた審査委員が、一言も発しないまま「懲戒」物語に賛同したイエスマンぶりを現した以上、審査委員の退廃は学大教員の恥という外ない。
法的判断は自分は不案内だから、というだけで腰が引けて教育者としての主体性を失い、弁護士・執行部の言いなりになっているという自覚が欠けている。
そんな連中に、人の一生に関わることを決められてはタマラナイ!
そんな連中ばかりでは、自立した教員を養成できるわけはない、学大は死につつあると言うべきか?
一人でも言葉を専門として、かつ主体性を保持している教員がその場にいたら、久保田・大竹ペアの暴走は妨げられたかもしれないものの後の祭り。
あとは明日の評議会で学大の<論理>と<倫理>の行方を見届けるだけ。
気持は連休の、卒業生との温泉・釣りの旅に飛んでいる。
(早くから決まっていた予定なのに、宿を確保するのが遅れて卒業生に迷惑を掛けてしまったのもオマエのせいだぞ!)

つい話が逸れてしまって申し訳なし。記録の印象を記すつもりだった。
前述のように「〜〜は適切だと思うか?」のワンパターンで呆(あき)れるが、法廷ではこの非生産的な繰り返しが一般なのだろうか?
だとしても大学という教育現場で法廷をマネする必要は全くない、むしろ教育的観点を忘れさせる点で有害としか思えない。
雇われ弁護士としては時間給を確保できればいいので、時間までルーティン・ワークを繰り返せば済むのだろうが、私に限らず研究・教育に励みたい者からすれば、同じものはまとめて「○と○と○〜」は「適切な表現と思うか?」と質(ただ)してくれたら五分の一以下の時間で済んだはずのもの。
一つ一つ分離して質問するのが法廷のやり方かもしれないが、大学が法廷のマネをする必要はない、と繰り返したい。
さらにあらかじめ「これこれの文書について聞きたい」と伝えてくれれば、当方も読み直しておけるから時間のロスも減らせたはず。
まさか時間給稼ぎのワザでもあるまいが、この弁護士は・・・と、また繰り返しになるから止めよう。
一つだけ弁護士の「名誉」のために訂正しておいた方がいいかも? と思ったのは、中某氏を「三歳児」と呼んだり記したりした私に対し、弁護士が「仮にも大学教授をそう呼ぶのは愚弄してないか?」と質した箇所。
私の応えは記憶通りで、「大学教授を特化(特別視)するのはマチガイだ!」であったが、久保田氏は記憶以上に長くこのツッコミを繰り返していた。
勘ぐれば、弁護士としての特権意識が、「大学教授を三歳児と呼ぶのは愚弄だ!」と言いたい中某氏の自己特化に共鳴したのかもしれない。
そもそもこのような自己特化こそ、ハラスメントを起こさせる根っこになっているのだと思う。
昔、「朝日新聞」に論壇時評を連載していた矢野暢(不確かな記憶)とかいう京都大学教授が、大学の女性助手をレイプしてクビになり、そのままマスコミからも消えてやがてこの世からも消えていったことがあった。
彼の場合が典型的な「大学教授の特権意識」が生む事件と言えよう。
女性留学生に肩を揉ませたり、キスしようとしたり、独り住まいの自宅に呼びつけて風呂を勧めたりしたという学大の中某氏も、この根拠の無い特権意識から暴走したものと考えられよう。
訂正というのは下劣な特権意識にまつわることではなく、この辺りの録音で私の発言「それはポシビリティにすぎなくて、プロバビリティの問題ではない」という意味が、久保田弁護士には通じてなかったらしいと記したこと。
実は今日久しぶりに「12人の怒れる男」という名画を観たのだが(別にブログで触れたい)、この陪審員の議論だけの傑作の中で「ポシビリティ」という言葉に絡んで、稀に「プロバビリティ」という言葉が聞き取れたからだ。
ということは、この2つの単語は法的世界でも普通に使われている言葉なのかもしれない、と考え直したしだい。
その他の質問に対しては、ブログで細部にわたって根拠たるべき例示をしたので、ここでは繰り返さない。

疲れてきただけではなく、雨も止まないので電車のあるうちに帰りたいので切り上げるが、録音を聞いた印象では新たに付け加えることは無いがもう一つ。
これも飽きるほど繰り返された「ニュース・ソースは?」という質問の応えとしては、例の被害者の証言集を挙げたがご不満のご様子。
あるいはご満足のご様子だったのか、聞いて判明したのは私が人文系教員に配布した文書の3ページ(ブログ参照)1〜9の中の2〜4は中某氏ではなく、もう一人のハラスメント(セクハラ以外)の被疑者の仕出かしたものだと本人から裏付けを取れた自信に勢いを得て、証言集の誤り、あるいはそれを読んだ私の記憶違いを強調したかったのかもしれない。
いずれにしろ2〜4は、酒席参加の強要・酒やビール券を学生負担で買わせる・大学で作製したテキストを数千円で売りつける、というもので証言集にも根拠に当たるものがある。
この証言集は中某氏ともう一人の被疑者○○氏から受けたハラスメントを、二人を分けて別々に編集されているので、共謀した可能性もあるものも含めて、両者のハラスメントが入り乱れているらしいのは確か。
しかし、それが幾分明確化されたところで事の本質は全く動かないにもかかわらず、鬼の首を取ったようにこの2〜4にこだわって質問していた「痴性」は救いようがない。
そもそも私がセクハラに限定して追及しているのは、それが心に傷を残すから一生の問題になる(被害者の証言通り)からであり、○○氏にはセクハラ疑惑が無いので私は今回問題にしていない。
今まで取り上げなかった問題も、録音から浮上した。(終わると言いながら追加になってしまってゴメンナサイ)
大竹副学長は、私が中某氏に出した書簡(ブログ参照)から、中某氏には研究業績が無いと言い切っているがその根拠は? と問われた。
私が応えたのは、教授昇進時の業績目録を見て、そのあまりの貧しさに正直驚いたこと(私だけではなかったと思う)を挙げ、その後も目立ったものを見聞していないというもの。
教授昇進の際に「学大はこれでも教授になれるンだ」と思ったので、よく覚えている。

てなところで、ウンザリしてきたのでいったん止める。
明日、評議会の前にでも種々補足したい。
どうせ他のことには集中できそうもないから、将来の雑文集にまとめる時のために、学大問題も収録したいので書き溜めておきたい。
学大の出版会で出してくれると嬉しいナ! その時は実名入りになるはずだから、売れると思うヨ。