次回は荷風! で「風ごこち」

今回は朔太郎の散文詩(?)「魔法つかひ」、初めて読んだけど不思議な作品で、乱歩研究者のクリマン師範代にはピッタリのものだと感じた。
クリマン氏も知らなかった作品なので、取り上げてくれてとても有り難いと言っていた。
1年生のスズキちゃんが立派なレジュメを作ってきたのにも感心したけど、3年生のケイちゃんが相変わらず(というより、いつも以上に)問題提起に溢れた発表をしたので、議論がとても深まった印象。
アイデンティティ」の確立・喪失のテーマはスゴク面白いし、それなりの説得力を感じるのだが、用語がイマイチはまってなかった。
「自己意識」とか「自我」とか言い換えられそうでいながらピッタリしない。
兄妹だけの閉じられた世界で自足て、いわゆる「退行」していて分化を拒んでいる状態(母胎回帰)。
クリマンが指摘してくれた通り、「鏡像段階」は通過しているものの、<他者>や<外部>を恐れている変則的な在り方をしている、というのがケイちゃんの発表をボクなりにまとめたもの。
主人公・他の人物・語り手・作者・作家が<同一化>して連鎖しているというのが、志賀直哉を代表とする日本文学の在り方だ(安吾は例外)というのが最近のイチロー君の論なので、ケイちゃんの発表を聴いて、朔太郎も<同一化の連鎖>の典型だと改めて実感した次第。
引き出しに用意した朔太郎詩のプリントを、未読のヒトは必ず目を通すと、朔太郎の「母胎回帰」的在り方が納得できるだろう。
感想の時に話した、芥川の「青年と死」(大正3年)は、記憶通りで二人(以上)の会話のテクストとして、「魔法つかひ」と共通する。

@ 28日は珍しく荷風! 「新橋夜話」の中の「風ごこち」です。楽しみ!
文庫は岩波から『すみだ川・新橋夜話』が出ていて、文庫の「解説」に≪花柳界に遊んだ作者が、この世界の裏面をつぶさに見聞し自らも味わった痛切な体験を、小編に仕立ててなった≫とある。
昔、一橋大の学部で「ちくま日本文学全集」の荷風の巻をテキストにして、「すみだ川」が特に盛り上がった記憶がある。
この際、「すみだ川」も読んでおくことを勧めます。