23日は「三月の5日間」の小説版

23日は特別補講(休講が無いのにやる)のため、教室が変更されるので要注意! 4251(4号館)だヨ。
6時までには終えて、打ち上げに行きたい(呑めないヒトの負担は軽減するのがイチロー流)。
16日はこの岡田利規作品の戯曲版を取り上げたが、クリマン君とサットマン君のレポ二人が、テクストの面白さと難しさの両面をあぶり出してくれた印象。
セカイ系」という新語の意味付けが各自バラバラで共有されていなかったのは、昔から日本で繰り返されてきた光景でご愛嬌。
サットマンが搦め手ではなく、大手から堂々と論じようとして善戦したものの、この曲者テクストに切り込むには困難だと思わせる結語が引き出されていた。
例えば、≪無関心を決め込みラブホテルという空間でセックスに明け暮れて、目の前の他者との関係に必死になることによって閉じた世界を創りあげる≫という把握は根底からズレテいるように見えるし、≪観客に強いている≫という言い方はこのテクストに当てはめるのは無理があるだろうと思う。
もちろん岡田の利規の戯曲に挑戦しようとしたセンスは、毛嫌いするだけで文学研究との距離を広げるばかりのヒトとは対照的。
ベテランの一人であるクリマン君は、このテクストを選んで挑戦した意気込みを感じさせるレジュメだったが、突っ込まれた時の対応・反論にもうひとガンバリ欲しかった。
上級生を中心に刺激的な質問・問題提起が出されたが、それらがイマイチ深化して行かない不消化な感じが残ったのは惜しい。
(昔、修士課程の頃に議論を聴かせてくれた博士課程の院生達が、この数カ月生まれ変わったようなレベルで議論に参加してくれたのは嬉しい限り。
一度はお断わりしたものの、久々に立教に来た甲斐があったというもの。)
不消化な部分は次回の小説版で、引き継ぎながら議論を深めてもらいたい。
テクストについてのごく個人的な感想としては、この作家のインテリぶりを改めて所々で感じたものだ。
先行研究には無いそうだが、テクストの設定と展開には「ゴドーを待ちながら」を強く感じたし(最近この「世紀の傑作」が白水Uブックスという廉価版で出た)、ゲロで落とすところは「嘔吐」かよ?! と笑えてしまった。
哲学的吐気に悩むロカンタンとは対照的に、人糞という肉体そのものを表象するもので吐く現代日本女性の在り方は、イメージを比較する度に笑えてしまう。スゴイ!
無内容な会話なのに読ませる、というベケット作品に劣らぬテクストの面白さ・興味深さが、小説化されるとどう変化するのか?
ワクワクするほどの問題だが、どこまで議論を深められるか・・・

@ 後期のテキストである『小林秀雄全作品』第22巻「近代絵画」が入荷されているはずです。(手持ちのものがあれば、文庫版でも何でも可)
夏休みに読み込んで、どの章について発表するか、検討しておいてもらいたい。
* 先週は自宅でやっと見つけ出した周五郎の関係本を持参したものの・・・