後期は9月24日から、『近代絵画』(小林秀雄)

約4ケ月、時間も内容もタップリの議論を聴かせてもらって満腹です、お疲れさまでした!
(欠席した人が悔しがるほと楽しい打ち上げは少人数でザンネンでした。呑めない人の負担軽減をしたのですが。)
次はレポートに励んで下さい、楽しみにしています。
質問等、遠慮なくメールや電話(ブログで報せる在室日)でして下さい。
注文したテキスト(『小林秀雄全作品』)には『近代絵画』以外の評論も収録されていますが、授業で取り上げるのは「近代絵画」だけです。
今のところエントリーされている画家論はモネ(10月1日希望)とピカソ(10月15日)が一人ずつなので、この二つの画家論にはもう一人ずつ、他の画家論は二人ずつ余裕があります。
決まった人はメール等で報せて下さい。
24日に発表する予定のレポーターはモネとピカソ以外から、早めに選んだ方が自分の好みを生かせます。

23日の特別補講は「三月の5日間」(小説版)は、とても刺激的な議論を聴かせてもらいました。
先行研究・参考文献があれほど沢山あるとは思いませんでしたが、準備万端(?)のクリマン君が発展可能性十分なたたき台を用意してくれました。
期待に応えて奇異な人称転換をテクストから抜き出しつつ、文章・文体についての結論を用意してくれたのは有り難かったのですが、問題が難しすぎたせいかこの点ではご論が深められなかった感が否めませんでした。
お互いに課題として受け止めて考えてみましょう!
クリマン君のレジュメはカッコイイ短文で結論を決める(まとめる)タイプのようで、なんとなく三好行雄が思い合わされました。
前回も記したとおり、ポレミックではない人なので、質疑に対してあまり反逆しない感じで議論としては深まりにくいのが難点。
見かねた(?)石川先生が沢山の問題提起や読解の補足をしてくれましたが、サスガに石川巧はスゴイと再認識しました。
何よりテクストが読める人、というインパクトを覚えて見直しました(失礼ながら)。
文学研究者でいながらも、テクストそのものが読めない研究者が氾濫する時代なので、石川巧の存在は貴重で際立っています。
必ずしも同意できる切り口ばかりではありませんでしたが、やはり学生からだけでは得られない骨身に応えるご意見で、最近にない刺激を与えられました。
こうして自分の読みを学生にぶつけて挑発していくのが「石川流」の授業なのだナ、と自分とは異なるやり方も参考になりました。
欠席した人の参考のために付しておきますが、戯曲と小説の二通りのヴァージョンがある作品として、つかこうへい「熱海殺人事件」という歴史に残る傑作があります。
といっても、つかには岡田利規のような問題意識が薄く(無く)て、小説版はつまらないと思います。
その点、岡田にはこの問題意識が強固にあるのが窺われて、とっても挑発されます。
中島梓栗本薫)が「文学の輪郭」で「熱海殺人事件」の小説版を戯曲版と比しながら論じていて、それを亀井秀雄さん(先日立教大で講演したスゴイ研究者)が評価しつつ論を発展させていたのを想起します(論文が収録されている著書が判明したら報じます)。

@ 夏休み中も研究室でヒグラシゼミをやってます。発表も含めて、遠慮なく参加して下さい。
時日はブログでその項目を参照して下さい。