マリナ―指揮のN響

いずれ授業の項目を消して、音楽や美術の項目を設けて書きたいと思っているのだけれど、まだ設定する余裕はないので緊急に「つぶやき」で。
誰か分かるヒトにご教示願いたいのでヨロシク!
昨日のヒグラシに参加した千石取りの大名作曲家に聞けば良かった、と今さらながらの後悔。
何かと言えば、たった今も聴きながら記しているN響の演奏が、マリナ―だと俄然素晴らしく聴こえるのだけれど、自分の耳を信じていいのか? ということ。
先週はさほど期待しないでドヴォルザークの7・8番を録画しておいて後で聴いてビックリ!
何気なく7番を聴き始めたのだけれど、1音1音が丁寧に訴えてくる演奏だったから「こんなにイイ曲だったっけ?」と落ち着かなかった。
日を改めてビデオに録画してあった昔の同じ曲の演奏を聴いたらツマラナかったので、退職後の多忙(?)で音楽をジックリ聴いてないせいでマリナ―が沁みるわけではないと判明。
フィッシャーという若手(当時)がN響を指揮したもので、彼はこの曲が持っているというハンガリーだかスラブだったか(イチローの無知ぶり暴露)が現れているイイ演奏かと思ったら、全然聴いていられないものだったので驚いた。
それほどマリナ―の演奏が素晴らしかったということ!
フィッシャーのはすぐに消すことに決定(8番はヤンソンスとベルリンの録画があるはずなのに見つからないので比べられなくて残念)。
さっきまで流れていたのはハフナー・シンフォニーで、これがまた結構聴ける名演奏。
ハフナーはアバドルツェルンムーティエ・ウィーンの録画と、ガーディナー・イングリッシュ=ソロイスツとチェリビダッケミュンヘンという2通りの録音(オープン・デッキ)という既に4通りの演奏があるのだけれど、マリナ―のも消せそうもない。
ピアノ協22番も無名のピアニスト(フェルナー)なのについ聴き入ってしまう演奏でビックリ。
これも既に上原彩子ルイージ・ウィーン響の録画とペライヤ・アバドウィーンフィルの録音があるけれど、マリナ―のは消せないだろう。
今は39番を小音で録画しながらスポーツニュースで野球を見たり(日ハムは1点差で負けたけど巨人も負けたからイイか)、お勧め番組である加藤浩次の「コージ魂!」を見ているのだけれど、これもノリントン、ホグウッド、ハイティンクブリュッヘンの4通りの録画・録音があっても、マリナ―を聴いたらおそらく消せないだろうと確信している。
マリナ―は90歳になろうとしているそうだけれど、このスゴサはいったい何なんだ?
デビューしたころはイ・ムジチ合奏団でブームだったヴィヴァルディ「四季」の通奏低音を、チェンバロからオルガンに切り替えてヒットさせるなど、その才人ぶりを記憶しているが、これほどスゴイ指揮者だとは思わなかった。
などと言っているが、自分の感覚を信じてイイのか、専門家の意見を聞いてみたくなった。
もちろんイイ演奏だと感じたのだから、専門家がマリナ―を否定しても聴き続けるだろうけど。
こういうようなヒトの意見を聞きたい時には、我がブログが書き込み不可能の設定にしてもらっている不自由さを感じてしまうが、それも仕方ない。
匿名で無責任な意見を心底から嫌悪・軽蔑しているし、若い仲間たち(卒業生)との関係に充足しているので、新たな≪関係の飢え≫(我が小林秀雄論の表題)を感じないから書き込み不要なのだナ。
一橋大院の授業をやっている頃なら、研究者でもあるがそれ以上に優れたピアニストであるニノミーにすぐに聞けただろうに、・・・彼の指導教員である小岩信治先生に質問したら、理解不能な難しい説明が聞けそうな気もするが、一橋大に行くことがなくなったのはその点ではザンネンだ。
でも退職後の楽しみな読書の一冊として、小岩先生から頂戴した『ピアノ協奏曲の誕生』(春秋社)があることを付しておこう。
ニノミーが授業で発表するはずだった吉田秀和の本と共に、今まで読めなかった趣味の本が読める幸福を噛みしめているところで〜す。
ともあれ学大オケの指揮もしたことがあるというセンゴク大名がこのブログを読んでいたら、マリナ―の演奏の感想・評価を報せて欲しいのでヨロシク!