「今でしょ!」  アーレント  「シャトーブリアンからの手紙」  斎藤学

林修という人は「今でしょ!」の一発屋だとばかり思っていたら、教え方がムヤミと上手いので驚いた。
さすがに予備校の先生、というのも大学で授業のやり方の模範として、予備校教員を呼んでモデルにしていると聞いたことがあるからだ。
大学の教員というのはホントに授業が下手で、おおむね「10年1日の如き」決まりきった内容を一方的にブツブツとくっちゃべっているのが多い。
その点、林さんの授業形式は生徒とのやり取りが生き生きとしていて感心したもんだ。
私の授業の理想は、絶えず発問をして受講者を考えさせ続け、できれば受講者の意見を闘わせた上で授業者の解答(意見)を発表するというものだから、生徒に質問を繰り返す林センセイのやり方に大賛成だ。
毎回イビラレ役のお笑い芸人を生徒の1人として置くのもウマいし、芸人が期待される通りに務めているのもさすがだ。
「林先生の痛快! 生きざま大辞典(事典?)」(火曜夜11時53分からTBSテレビ)というのを2・3回見たのだけれど、内容はともかく見ていてオモシロイ。
一昨日は哲学者ハンナ・アーレントを取り上げたのは背伸びし過ぎで無理を感じたけれど、そうした大それた冒険をするところも評価したい。
本人も冷や汗をかきながらだと言うとおりだったけれど、そして新書版の解説書(?)を片手にアーレントの言葉を引用するのはいただけなかったけれど、要点をつかんで質問しながらまとめて行く手際は授業下手教員の参考になるだろう。
たまたまこのブログでも触れたばかりのニュルンベルク裁判を見聞したアーレントの言葉を林さんが取り上げていたのも、彼の問題意識の先鋭さが現れたものだと嬉しい思いで受け止めた。
ヒットラーの命令でユダヤ人を大量殺戮したアイヒマンは「ただの役人だったにすぎない」というような言い方をしたために、アーレントはナチを弁護しているとかの非難を受けたので、この点で彼女の言説を取り上げるのは微妙で困難だけれど、それに敢えて挑戦してでもお茶の間番組に提起したのはお手柄だった(お笑いのコカドの働きも良かった)。
個人的にはアーレントの言葉を鵜呑みにしたらただの馬鹿だと思うけれど(イデオロギー化は諸悪の根源)、現在公開中の映画「シャトーブリアンからの手紙」にも、解説(朝日新聞)によればニュルンベルク裁判と同様のキツイ問題が提出されているようだ。
フランスのレジスタンスがドイツ軍将校を暗殺した報復として、ヒットラーが収容所のフランス人150人の銃殺を命じた事実談を映画化にしたものとのこと。
詳しいことは端折るが、シュレンドルフ監督の言葉を記憶にとどめてもらいたいので引用しておきたい。
《いちど回り始めた歯車を止めるのは難しい。だた、何が正しいかを自分で考える勇気を無くしたら、シャトーブリアンの悲劇はまた起きる。責任は集団ではなく、常に個人にある。》
林さんは「信念」を強調するアーレントの別の言葉を紹介していたが、シュレンドルフ監督の言う「勇気」との異同を熟考すべきだろう。
アーレントが提起した難解な問題を取り上げた林さんには、それなりの「信念」と「勇気」(視聴率が落ちても構わない?)があると伝わってきた。
それに比べると、音読の肯定的側面ばかりを強調して世に出過ぎている斎藤学という大学教員(明治大学)のバカさ加減がハッキリしてくると思う。
バカの一つ覚えで単調に音読をくり返すか、せいぜい一般には知られてないが専門書見れば分かる程度の事項を受け売りするだけで、独自な思考からは何も生み出せない斎藤某は低レベルの大学教員の典型だろう。
彼の授業は分かりやすいと想像されるけれど、それは底の浅さ・視野の狭さに由来するのだと考えられる。
明治大学といえば、以前弟のビートたけしの威光で(?)教授に居座った北野大の無能さを記したことがあったけど、斎藤某といいアホばかり目立って損してる感じだ。
パンダ(人気取り)ばかり集めている印象だが、近代文学では平野謙や本多秋伍を始め中山和子や松下弘幸など充実している部門もあることを忘れまい。
ともあれ予備校教員・林修の授業は、面白さのみならず深さと広さを感じさせつつ、問題を根本から考えさせられるように思った番組である。
褒め過ぎかな?