学芸大は大学ではない  二つある講義課目は両方出よう!

トシのせいか、言い忘れるものが多くなったようだ。
近代文学の「概論」は木曜2時限の大井田先生のと、木曜4時限の関谷のものとの二つ開講している(教育効果を狙ったボランティア)。
二人の専門が異なるに応じて、授業内容も異なる(秋学期の「文学史」も同様)。
初回の授業で強調したように、学芸大のカリキュラムは大学の名に値しないもので、教育の専門学校のカリだという自覚が必要。
「概論」も「文学史」も半年で済ますのは、しょせん無理な話。
だからせっかく同じ科目を二つ出しているのだから、両方を聴いて充実を図るのが望ましい(試験は易しそうな方で受ければいい)。
昔は指示通りに両方を聴く学生もいたものだが、最近の(国語も)学生は楽をしたがってオバカになるばかり。
教員の意欲は学生の意欲がプラスに向かうに応じて比例するが、学生の意欲が必ずしも教員の意欲に比例しなくなっているのが現状で淋しい。
ともあれ、最近の学生の傾向に反して意欲を持つ学生は、二つ開講されているものは両方聴いて私立大学文学部の充実したカリキュラムに対抗してもらいたい。
楽をしたがっていると、中高の教員採用試験で、私立の学生と太刀打ちできないことを肝に銘じるべし!
小中高の教員になれても、私大卒の教員に対するコンプレックスを解消できないだろう。
2年生になったら、カリ通り半年やれば済むと思っていると、充実した演習を積み重ねている私大生の<読む>力にかなうわけがない。
学大に入れて満足するのではなく、危機感を持たないと4年後に痛い目に遭うだろう。