イチローの三島由紀夫論がスゴイ!  執筆法の大変化

テレビばかり見ているんじゃねぇ! と心配してくれる向きもあるだろうけれど、大丈夫。
もともとテレビは気晴らしのために(頭が煮詰まりやすいので)、フツーの人たちと5時間ほどズレテいる食事をしながら見ることが多かったものだけれど、退職後は頭を使わない雑用をしながらも見ているので時間が増えただけのこと。
このところずっと三島由紀夫論のスゴイのを書いているので、一段と気晴らしが必要となっているので、勢いテレビを見ながら室内運動や雑用をしている。
「近代能楽集」の各作品をキチンと論じながら、三島文学の本質を論じ切ったハイレベルの論で専門家のシューメイ(佐藤秀明)を驚かしてやろうと目論んでいる。
三島由紀夫とは何か? という問題には答えたがっている論は多いものの、三島文学とは何か? という大問題を明快に論じたものが見当たらないので、自分で書き残しておこうと思ったのである。
ホントは安吾論をまとめるつもりでいたのだけれど、この1年ほど全く安吾を読んでないくらい他のことに追われ続けている。
三島論もボランティアで卒論指導をしていたことから派生した成果なので、自分を狭く追い込まないことも大事ということか。

三島論を書いていて、新たなものを得られて我ながら驚いている。
今までは初稿は紙に書かないとダメだったけれど、今回は途中からメモを見ながら直接ワープロに打ち込むことができるようになったしだい。
ご存じ(?)字とは思えないキタナイ字なので、下書きを打ち込む時に判読できないこともあり、時間の無駄にもつながったものだ。
それはともかくいきなりPCに打ち込むことができれば紙資源の無駄を防ぐことになるのだから、これほど良いことはないのだけれど、今後もこの方法で行けるという確信は無い。
というのも、今回は頭の中で練り込んだ上での執筆なので、各作品論を書く時は論の全体像を1枚の紙にメモることができ、それを見ながら論をすらすらと書けたのは確か。
しかしこれからは別の作家・作品について書くのだから、同じように上手く行くとは限らない。
さて、どうなることやら・・・