鴨居玲展

主に桐原書店の教科書の仕事だが、諸事に追われてなかなか鴨居玲展に行けなかった。
午後8時まで観ることができる17日の金曜にやっと行けた。
20日、即ち今日なのだが、最終日になって感想を記してもおススメにはならないかもしれないが、前にすでに素晴らしさを強調しておいたからイイだろう。
ともあれこれほど圧倒された絵は久しぶりな感じだったが、あるいは昼寝をタップリして体調が良かったせいもあるかも。
最初の展示である若き日の自画像からずっと見入ってしまい、それぞれいつまでも観ていられると思ったけれど、定評どおり人物画以外になるととたんにツマラナクなる。
教会も1つのテーマだそうだけれど、人物画と比べようがない。
他の画家の絵の中に置けば、教会画も面白く感じられるのかもしれないが、鴨居展の中では目立たない。
描かれた人物も限られていたせいか、行き詰って自裁せざるをえなかった行程は想定内といったところ。
それにしても解説(絵の横にあるやつ、何と言うの?)が何でも鴨居自身につなげて解釈してしまう牽強さには、金無垢の私小説を強いられるようでゲップが出そう。
テクスト(それぞれの絵画)の1つ1つに画家を読んでしまう貧困さは、文学では時代遅れとして否定されているのに、美術界ではまだまだ遅れたままなのかな。
それ自体は間違いとは言えない傾向ではあるが、明らかな間違いだと気付いたのは「蛾」という表題ながら(70番だったか)「蝶」だろうと思われたものと、「ギター」と題しながらも「リュート」だろうと見えたものの2点。
「蛾」もテーマの1つだという解説にあり、事実多く描かれているのだが、この大き目に描かれているのはどう見ても「蝶」だろう(中学生の時は蝶採集家だったイチローの証言)。
「ギター」と題してあるが、柄(左手で押さえる方)が途中で折れているのだから、明らかに「リュート」だろう。
あまり大した誤記ではないから問題ないが、以前bunkamura美術館で観た絵に「この子は足にケガをしている」という解説があって呆れたことが想起された。
大工の仕事場で遊んでいる子供たちの1人が、足の甲に穴が開くほどのケガをしているのを、単なるケガとしか理解できない学芸員のレベルの低さに呆れたのだ。
ずいぶん前に記したとおり、この子が大工の息子であるイエスだという証拠(スティグマ=聖痕)として解釈しなくては画家がカワイソーなんだがナァ〜。
古書店でも画集を見かけないので購入しようと思ったものの、例によってヒドイ印刷なので止めた。
というか、朱色を始め、あの色はプリント不可能かも。