斎藤一久  学大ハラス(VS)早大ハラス  高橋順一

気になる新聞(朝日)記事は取っておいて、ブログに書きたい時に言及するのだけれど、一昨日溜まったのをチェックしたら4センチくらいになっていて吾ながらビックリ。
その中に6月16日のものがあり、「文化・文芸」欄に「「非立憲」政治への警鐘」という表題の記事がある。
東大本郷で開催された「立憲デモクラシーの会」に1400名も集まったというのがスゴイが、そこで佐藤幸治・京大名誉教授の講演があってそれに関わる参加者のコメントが紹介されている。
驚いたのは学大の斎藤一久氏の名前が出てきたことで、講演には「戦前の歴史から見て『いつか来た道』ではないかという危機意識もあるのではないか」という発感想が記されていた。
露出している学大の教員といえば何といってもマナブチャン(大石学センセイを勝手な愛称で呼んでいるだけ)で、最近ではNHK以外でも「大江戸ゼミナール」(BSジャパン・火曜夜9時)などでも活躍中。
「英雄たちの選択」では時々鋭い見解を示すことがあるが、ゼミナールでは研究者らしく幅広い知識のあるところを見せている。
ボクが退職する頃は、意外にも連合大学院の研究科長を引き受けるほどオトナになって、最後までオトナになれなかったボクを安心させてくれたものだ。
さて斎藤さんの見た目は、関取ながらテレビで体脂肪の低さをアピールしていた妙義龍に似た感じなのだが、その言動も妙義龍並みの鋭さで大いに助けられたことがある。
在職中に種々のハラスメントをくり返していた同僚のクレイ爺退治をしていた時に、無能な村松泰子執行部に妨害・弾圧を受けたのだが、斎藤氏は私に対する不当処分(減給1日だったか?)に憲法学者の立場からも批判・抵抗してくれ、処分言い渡しの学長室まで付いてきて執行部に抗議してくれたことは驚きと感謝と共に忘れない。
こういう人が学大にいる限り、安倍政権が「いつか来た道」を歩み始めても、学生の背中を押すことは決してあるまいと頼りにしている。
村松学長が辞めた後まで執行部にしがみ付いて私利私欲を追求している口先だけのFのようなヤカラとは一線を画して、斎藤氏は不戦憲法を守り・立憲政治を守り・学生を守ってくれるはずである。
(ボクがあまり褒めると、ボクに対する反発から斎藤氏に嫌がらせをするゲス野郎も現れるだろうから、このくらいで止めておこう。)
もちろん私利私欲を優先してしまう教員は残念ながら執行部以外にも少なからず存在し、ふだんは進歩的な事を口にしながらもイザとなると裏切るヤカラに次々と現れ、呆れて学大愛がいっぺんに冷めたものだ。
村松学長お気に入りの例のアホな顧問弁護士(以前何度も記した通り)が中心となった処分のための委員会(4人の学系長を含む)の席上にいて、無言を通して執行部の言いなりになっていた知り合いの学系長が2人いた。
今のところはイニシャルに止めておきたいが、その委員会の長を務めた学内政治の能力など持ち合わせていないオバカな女性副学長K(芸術系)などもちろん最初からアテにできないし、ノーテンキで憎めない自然系のMには問題の本質が理解できないだろうから期待していなかったけれど、連合大学院の専任教員も務めたことがある芸術系のMには理解できているはずだと思っていたので、知性を放棄してひたすら無言を通したMには心底失望したものだ。
このMは付属のベテラン教員2人の公金横領事件の解決を任されたものの、何もできずに事件をウヤムヤのままに放置したと聞いた時は納得できた。
人間、頭の良さより心の良さだよネ。それからはこのMに限らず失望・裏切りを感じたヤカラには人間としての尊厳を認めずに、見かけても無視することにしている。
つい先日、学大に寄った時にこのMを見かけたけれど、眼が合っても挨拶をしようとしないボクを見つめる表情の暗さは初めて見るもので、処分を言い渡す時の村松学長が初めて見せた暗鬱な表情を想起させた。
もちろん人間の尊厳を失っていない人もいないわけではなく、学大執行部の腐敗を嘆くある学系長から「昔の学大はこんなじゃなかった」と同情・共感を示されたこともあったけど、数少ない信じられる人だった。
さて教育研究評議会という場で最終弁論(?)の機会が与えられたので、ボクの処分理由である「表現の自由」(執行部を批判したこと)をめぐり学大の知性と理性を賭けて討論しようと意気込んでいたものの、「表現」に関わる研究をしているはずのAとN(共に人文系でドイツ語)が欠席していたのでシラケてしまい、「表現をめぐる議論にその専門の教員が欠席しているのじゃ話にならない」と正直にブチまけてから空しい弁論を展開した。
もちろんAとNに対するイヤミでもあるが、(2人を欠席させた可能性もある)バカ面を連ねていた学長・副学長を始めとする執行部にたいする侮蔑の公言のつもりでもあった。
正論を記録に残すだけでも後世のためになるだろうと一応言うべきことは展開しておいたけど、イエスマンの愚物ばかりだったので(クレイ爺の弁論との区別もつかない低能も列席してたとか)張り合いの無いことこの上無し。
期待した議論も無く弁論だけで終わったので、ガス抜き用の会議だと判明して学大の知性の終焉を悟ったしだい(書いていて疲れが限度)。
前回早大の恥部を記したので、それに比べると学大はマシだと思わせてはいけない考え、敢えてクレイ爺の対女子留学生セクハラを振り返ってみた。
でもワセダの教員には現役院生を送って行くという名目で彼女の部屋に上がり込んで○○○に及び、挙句の果てに愛人にして黙らせたのもいると聞くから、それに比べればクレイ爺のは罪状としては軽い(けど被害者のことを思えば許されない)。
10年あまり前の新聞記事によれば、ワセダには学内の言論の自由を抑える理事(?)に抗して一人で反対のビラまきをした高橋順一(ドイツ語・哲学?)という知人もいるので、同じ高橋でも真逆な真人間もいて大学としても救われている。
順一さんは学生時代、あの三里塚闘争にも参加していたというのだから、それ自体及び難く偉いけれど、もっと偉いのは初心を教員になっても貫徹していること。
ボクも学内の教員全員に学内ハラスを無視しようとする村松執行部批判のビラを配布したけれど、レターボックスを利用したのであって、順一さんは新聞記事の写真によればキャンパスの路上で任意にビラまきしてしていたので、その点でも及び難いと感じたものだ。
ハラスというとハヤシライスみたいで、2つの大学生協食堂の味比べにも見えるけれど、現役の学生に対する教員のハラスメント比べじゃ情けない。
でも双方の大学ともハレンチ野郎だけではなく信頼できる教員もいるので、まんざら捨てたものでもないと付しておこう。